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キングダム昌平君は裏切り死亡する?楚王としての最期と蒙武より強い説を史実から検証

アース
アース
楚軍将軍・媧燐の弟なのか…

呂不韋四柱時代から秦国軍総司令である昌平君(しょうへいくん)。

むちゃイケメンでさらに頭も切れる昌平君はどこか李牧と重なりますが、実際史実ではどのような人物だったのでしょうか?

やはりイケメンで頭も切れる感じな人物だったのでしょうか?

調べていくと、かなり先になるであろうキングダムの展開に関わる史実が判明!

さらに「キングダム」総集編「蒙武と楚子」から、後の昌平君の展開も!

昌平君は最後に裏切り秦国のラスボスになる!?

昌平君という人物の詳細を見てみましょう!

目次 / Contents
  1. ◆キングダム昌平君(しょうへいくん)基本プロフィール
  2. ◆キングダム昌平君(しょうへいくん)とは
  3. ◆昌平君(しょうへいくん)は77巻時点で生存中!
  4. ◆史実の昌平君(しょうへいくん)とは
  5. ◆昌平君(しょうへいくん)の強さ・能力を徹底解説
  6. ◆昌平君(しょうへいくん)の主要キャラとの関係性
  7. ◆昌平君(しょうへいくん)主要戦歴・年表
  8. ◆キングダム総集編「蒙武と楚子」とは
  9. ◆昌平君(しょうへいくん)が裏切りラスボスから死亡展開を予想!
  10. 昌平君の名場面を紹介!
  11. ◆蒙武と昌平君の重要伏線を徹底考察
  12. ◆昌平君の声優 諏訪部順一さんを紹介!
  13. ◆昌平君(しょうへいくん)FAQ・よくある質問
  14. まとめ:昌平君は最後に裏切りラスボスになる!?

◆キングダム昌平君(しょうへいくん)基本プロフィール

項目内容
名前昌平君(しょうへいくん)
本名羋(び)熊啓(ゆうけい)
立場・役職秦国軍総司令官・右丞相
出身楚国の公子(楚の考烈王と秦の昭襄王の娘の子)
初登場単行本9巻(呂不韋四柱として)
能力評価頭脳は李牧級、武力は蒙武級
師匠胡昜(こしょう・六大将軍の一人)
運営施設軍師育成学校(河了貂、蒙毅が卒業)
直属部隊黒騎兵(団長:豹司牙)
公式能力値知力99、指揮力97、武力90

◆キングダム昌平君(しょうへいくん)とは

「キングダム」39巻より

秦国軍総司令官である昌平君。

9巻にて初登場しますが、主人公信嬴政(えいせい)とは敵となる、呂不韋の側近である呂不韋四柱の一人として登場します。

秦国の軍のトップである軍総司令官として主に他国の情勢を把握し、軍略を司るポジションとして初登場します。

しかし10巻では同じく呂不韋四柱の一人蔡沢から「武において最強クラスである蒙武よりも強い」と語られており、知だけではなく武も併せ持っているとされていました。

それが、証明されたのが37巻から始まった嫪毐(ろうあい)の乱編です。

39巻で呂不韋と袂を分かち離れた昌平君は、秦王嬴政のために昌文君と共に反乱を鎮めます。

その際には敵将と一騎打ちをし、自ら首を取るという活躍を見せます。

知だけでなく武も兼ね揃えた人物であることを、ここで証明しています。

軍総司令であり右丞相という王を支えるポジションの昌平君は、嬴政の夢である中華統一を文字通り支える右腕となっています。

楚国の公子としての出自

昌平君は楚国の公子として生まれた人物で、姓は羋(び)、氏は熊、諱は啓(けい)とされています。

紀元前271年頃、楚の太子完(のちの考烈王)と秦の昭襄王の娘の間に生まれました。

幽王・哀王・負芻とは異母兄弟の関係にあります。

つまりは、秦国の王家血統と楚の王家血統を引いている人物であり、言ってみれば今の嬴政とも血の繋がりがあることになりますね。

この「楚王の公子」でありつつ「秦王族の血」も引く複雑な血筋が、後の昌平君の運命を大きく左右することになります。

秦国での役職と実績

昌平君は秦国において極めて重要な二つの役職を兼任していました。

一つは秦国の軍総司令官として全軍の指揮を執る立場、もう一つは呂不韋の相国昇格に伴い右丞相に任じられた政治的地位です。

呂不韋四柱の一人として、秦国の実権を握る呂不韋派閥に所属していました。

また、自費で軍師育成学校を設立し、後進の育成にも力を注いでいます。

この学校には河了貂や蒙毅などが学び、秦国の軍師層の強化に大きく貢献しました。

性格と人物像

昌平君は常に沈着冷静で、感情を表に出さない寡黙な人物として描かれています。

ポーカーフェイスで非情な印象を与える一方で、実は熱い部分も持ち合わせています。

物事に意味を求め、納得いく理由がないと行動しない理性的な性格です。

外見的特徴としては、茶色の長髪と端正な顔立ちが挙げられます。

そのルックスと知略から、多くのファンを魅了するキャラクターとなっています。

◆昌平君(しょうへいくん)は77巻時点で生存中!

77巻・856話時点の本編時間軸では、昌平君は秦における軍総司令・右丞相として健在です。

趙の鄴攻め後、魏との「什虎城」をめぐる同盟交渉で主導権を握り、魏に什虎城を差し出す代わりに趙攻略の背後を安定させる大胆な外交を主導しています。

中華統一戦線の「長期ロードマップ」を握る戦略ブレーンとして、現在も秦国を支え続けています。

◆史実の昌平君(しょうへいくん)とは

昌平君は史実にも登場する、実在の人物です。

キングダムでは登場していないエピソードですが、楚の考烈王と秦の昭王の娘との間にできた子であり、公子とされています。

そして史実としても呂不韋を支えており、嫪毐の反乱の際では叔父である昌文君と共に鎮圧しています。

その功績が評価され、右丞相となっています。

キングダムでは違いますし諸説あるようですが、史実では昌平君と昌文君は叔父と甥の関係のようです。

そして昌文君もそうですが、〇〇君というのは治めている場所を呼び名としている名前であり本名ではありません。

ニックネームのようです。

史実での最期:楚王として秦に反旗

紀元前223年に、異母兄弟の楚王負芻(ふすう)が秦に捕らえられ楚が滅亡します。

楚王の血統である昌平君は、項燕(こうえん)により楚王に祀り上げられ、秦に背いて反乱を起こしてしまいます。

しかし、王翦・蒙武に敗れて死亡します。

つまり昌平君の最後は秦を裏切り楚の王として戦い、秦に敗れて死亡した、ということになります。

これは現在の展開を見ると衝撃ですよね!

史実では、嬴政が楚攻略において李信(信)の「20万で十分」という案を採用し、王翦の「60万必要」という案を却下した際、昌平君は王翦を支持して諌めたことで罷免されたとされています。

この時、昌平君は王翦の策を取るべきだと主張しましたが、聞き入れられませんでした。

李信と蒙恬が率いる20万の軍は、当初快進撃を続けましたが、昌平君と項燕の策にはまって大敗を喫します。

この敗北は秦国における最大級の大敗となり、多くの古参の飛信隊メンバーが命を落とすことになると予想されています。

王翦と蒙武が率いる60万の軍により、楚王の負芻(ふすう)が捕らえられた後、生き残った項燕は昌平君を楚王として擁立し、楚の復活を試みました。

しかし、すでに大きな打撃を受けた楚の立て直しは容易ではなく、昌平君は楚王になって間もなく殺され、項燕も自害してこの戦いは終結しました。

キングダムに反映すると思われますが、ここは要注目ですよ(*^^*)

◆昌平君(しょうへいくん)の強さ・能力を徹底解説

軍略能力:李牧と並ぶ中華最高峰

昌平君は「軍略の天才」と称され、その知略は李牧に匹敵するレベルとされています。

秦全軍の作戦立案・采配を一手に担う存在として、鄴攻め・趙攻略・什虎戦など、作中最大規模の戦争の設計者として描かれています。

介億に「頭脳は李牧級、武は蒙武級」と言わしめるほどの「バランスブレイカー」です。

軍略の師・胡昜からもその才を高く評価され、王翦を「軍略の才だけで六将に割り込める」と見抜いた人物として描かれています。

この師弟関係は、昌平君が王翦を重視する理由の一つともなっており、鄴攻めでは王翦に対して「現場判断で策を捨てても良い」という柔軟な指示を出すなど、深い信頼関係が見られます。

具体的な軍略の実績

山陽攻略戦での戦略:

秦趙同盟を活用し、楚も大軍で牽制することで、魏軍とのみ戦う状況を作り出しました。

この戦略により、廉頗率いる魏軍に対して十分な戦力を集中させることが可能となり、蒙驁・王翦・桓騎の活躍もあって山陽の奪取に成功しました。

李牧自身も、山陽攻略は中華全土を盤面とした場合の「詰みの一手」に近いものだったと評価しています。

魏の山陽を攻略した後、彼はそこを秦の領土「東郡」と宣言し、秦人を大量に移住させる国策を断行しました。

これは中華の中央に秦の楔を打ち込む「王手」に等しい一手であり、その危険性を察知した李牧と春申君が合従軍を起こすきっかけとなりました。

合従軍編での活躍:

圧倒的な軍力で侵攻してくる合従軍に対し、李牧の知略に対抗する一手を見出し、秦国を勝利に導きました。

秦軍全体の戦略設計・配置を担い、介億ら軍師を各戦線に派遣する「人材配分」の中枢として機能しました。

鄴攻めの基本構想:

鄴攻めの基本構想を政から託され、王翦に「鄴攻め」という異常な作戦を提示しています(王翦はあえてさらに捻って実行)。

趙北部の要衝である鄴の攻略を計画し、王翦軍と桓騎軍を長城経由で北上させる大規模作戦を指揮しました。

戦場には出ないが、王翦・楊端和・桓騎にそれぞれ役割を割り振る「シナリオライター」として機能しています。

什虎城を魏に渡す交渉:

魏との同盟で什虎城を「差し出すカード」に変え、趙攻略の背後を固める交渉を設計しました。

「秦にとっても痛手だが、それ以上の利を得るためにリスクの大きい交渉に打って出る」という、交渉家としての冷徹さが際立つ名場面となっています。

韓攻略戦:

中華統一の第一歩として、趙の防衛網を避け、先に「韓」を滅ぼす戦略を立案しています。

騰を総大将に据え、韓の王都・新鄭への侵攻を開始させ、これは各国の予想を裏かく一手となっています。

彼の描く統一への青写真が着実に実行段階へ移っていることを示しています。

個人武力:蒙武級の圧倒的戦闘力

昌平君は軍師としてのイメージが強いですが、実は武力も相当なレベルを持っています。

蒙武に匹敵する強さを持つとされ、戎翟公との戦いでは自ら前線に立ち、「一撃必殺 命にかえても戎翟公の首を取るぞ!」と宣言して突撃する場面があります。

嫪毐の乱での戦闘では、昌平君は介億や昌文君とともに咸陽へ千の兵を率いて駆けつけました。

敵兵3万に対してわずか千の兵という圧倒的不利な状況でしたが、昌平君は河了貂との見事な連携により、敵将ワテギの元にたどり着き、その腕を切り落として首をはねるという圧倒的な武力を見せつけました。

介億は「幼少期には蒙武よりも強かった」と評しており、現在でもその強さは健在であることを証明しています。

使用武器は長槍系の武器が中心とされることが多く、軍師然とした外見に反して剛力型です。

公式ガイドブックにおけるステータスは、知力99、指揮力97、武力90とされています。

知力は作中最高峰でありながら、武力も「90」という将軍級の高さを誇り、前線で戦う猛将たちに匹敵する戦闘能力を秘めています。

武力と知略の両方を兼ね備えた「文武両道の傑物」として描かれており、その総合的な能力の高さは作中でも屈指のものです。

必殺戦術「包雷(ほうらい)」

嫪毐(ろうあい)の乱(毐国反乱編)で見せた必殺の戦術です。

敵を三方から包囲壁で追い込み、唯一開いた「逃げ道」に自らが強力な主攻として突撃し、敵将を討ち取る戦法です。

これにより敵将ワテギを一刀両断しました。

直属部隊「黒騎兵」の戦闘力

昌平君が抱える近衛兵団は、全身を黒い甲冑で覆った「黒騎兵(こっきへい)」と呼ばれます。

その戦闘力は、数的不利をものともせず反乱軍を蹂躙するほど圧倒的です。

部隊を率いる団長・豹司牙(ひょうしが)もまた、武力89・指揮力88・知力85という高い能力を持つ実力者であり、昌平君の「武」の側面を支える重要な戦力となっています。

◆昌平君(しょうへいくん)の主要キャラとの関係性

嬴政(えいせい)との関係

現在は完全に政サイドの「軍事右腕」です。

什虎城を魏に譲ってまで趙攻略戦略を推し進めるなど、政の中華統一ビジョンを軍事面から具体化するポジションにいます。

中華統一へ向けた秦軍の全戦略ロードマップを描く存在として、政の「理想」を、現実の軍事シナリオに落とし込むインターフェース役を担っています。

当初は呂不韋陣営として対立していましたが、嫪毐の乱後は政を支える立場となり、中華統一という目的のために協力関係を築きました。

呂不韋との関係

初登場時は呂不韋四柱の一人で、事実上の「軍事部門トップ」として仕えていました。

嫪毐の乱の際に呂不韋を見限り、政側に付いてクーデター鎮圧に回ることで、呂不韋政権に終止符を打つ決定打を担います。

嫪毐の乱が発生した際、昌平君は重大な決断を下します。

呂不韋四柱の一人でありながら、昌文君と共に反乱鎮圧に向かうことを宣言しました。

呂不韋から問いただされた際、昌平君は「余計な問答は必要ない 察しの通りだ 世話になった」とだけ述べて、呂不韋陣営を離れました。

この決断の背景には、昌平君の筋を通す性格と、秦国の未来を見据えた判断があったと考えられます。

嫪毐の乱後、昌平君は政の大王派に加わり、秦国の中華統一を支える立場となります。

蒙武との関係:最重要伏線

昌平君と秦国大将軍・蒙武(もうぶ)は幼馴染であり、親友の関係にあります。

二人の関係性は物語の中でも重要な要素となっており、将来的に敵対する可能性も示唆されています。

本編でも「軍略の頭脳(昌平君)と武の怪物(蒙武)」として、鄴攻めや什虎戦などで役割分担している構図です。

什虎(じゅうこ)の戦いでは、楚の満羽らとの戦闘を通じて二人の深い絆と過去(蒙武と楚子)が掘り下げられ、昌平君が秦国にとどまる理由や中華統一への想いが描かれました。

61巻に登場した幼少期の蒙武と昌平君の描写から、二人が幼馴染みであることが確定しています。

ただし「蒙武が昌平君の何かを背負っている」という描かれ方がされており、この伏線が今後どう回収されるかが注目されています。

昌平君の最期は、親友である蒙武との対決になる可能性が高く、二人の幼馴染の絆と、それが最終的に敵対関係となる悲劇的な展開が予想されています。

什虎戦で描かれた若い頃の二人の姿は、後の関係破綻の伏線となっています。

王翦との関係

軍略の師・胡昜が「軍略の才だけで六将に割り込める」と認めた逸材として政に推薦したのが昌平君です。

鄴攻めでは、昌平君が基本方針を授け、王翦がさらにそれをねじ曲げて実現させるという、天才同士のやり取りが背景にあるとされます。

李牧との関係

直接対峙シーンは少ないですが、知略レベルでしばしば比較され「頭脳は李牧級」と評価されています。

中華の両極に立つ「二大軍略家」という図式で、史実的にも秦VS趙の知略構図の片翼を担っています。

昌平君と李牧は、秦と趙という敵対国で軍の司令官として活躍する、互いに認め合うライバル関係にあります。

李牧は将軍でありながら軍略家として戦場で直接指揮を執るのに対し、昌平君は右丞相として王宮で全体的な戦略を立案する立場にあります。

李牧の特徴は「奇策」を好む点で、これは雁門時代の経験から「なるべく犠牲者を出したくない」という想いに基づいています。

一方、昌平君は周りに人が多く、軍議では多くの武将や軍師と議論しながら作戦を立案し、最終的に最も勝率の高い作戦を導き出すスタイルです。

各将軍の力量と性格をよく把握しており、現場の判断は将軍に任せるという信頼関係を築いています。

河了貂との関係

羌瘣の推薦により、河了貂は昌平君の軍師学校に入学しました。

昌平君は河了貂の才能を認め、軍師として育成しました。

昌文君との関係

史実では昌文君と昌平君はおじと甥の関係とされています。

嫪毐の乱では共に反乱鎮圧に向かいました。

媧燐との関係:弟説

昌平君の裏切りには、媧燐(かりん)との関係も示唆されています。

媧燐は作中で「唯一の身内である弟を探して荒野をさまよう」姿が描かれており、昌平君が媧燐の弟である可能性が高いとされています。

媧燐と昌平君が考烈王の子供であった場合、楚王室との血縁関係がより強調されることになります。

◆昌平君(しょうへいくん)主要戦歴・年表

年号内容
紀元前247年頃呂不韋四柱の一人として初登場(9巻)
紀元前241年合従軍編:秦軍全体の戦略設計・配置を担当
紀元前238年嫪毐の乱:呂不韋を見限り政側に。敵将戎翟公を討つ
紀元前236年王翦が楊端和、桓騎を従え「鄴」を攻め落とす
紀元前235年呂不韋服毒自殺・趙王悼襄王死亡←77巻時点
紀元前234年平陽の戦い:桓齮VS扈輒で桓齮勝利。扈輒が討ち取られる。
紀元前233年肥下の戦い:李牧VS桓齮 桓齮敗れ死亡?
紀元前230年騰将軍により、韓滅亡
紀元前229年趙の李牧死亡
紀元前228年趙滅亡
紀元前226年昌文君死亡
紀元前225年魏滅亡
紀元前223年楚滅亡・昌平君が楚王として反乱、王翦・蒙武に討たれる
紀元前222年燕滅亡
紀元前221年斉滅亡・中華統一

◆キングダム総集編「蒙武と楚子」とは

キングダム連載前に描かれた読み切り「蒙武と楚子」では、昌平君の半生が描かれています。

楚の人質として送り込まれた昌平君が秦で育ち、少年蒙武と出会います。

二人は切磋琢磨し、友情を深めていきます。

しかし楚からの人質であった昌平君が祖国に戻れないと分かり絶望することになります。

そこを蒙武に「楚を捨てて秦で立ち上がれ」と激昂され、奮起する展開となります。

その後丞相にまで上り詰めた昌平君ですが、楚攻略の段階で作戦が全く思い浮かばず、祖国楚を捨てきれない自分に気付きます。

反乱を起こし、最後に旧友蒙武とぶつかり戦死し、終わります。

以上がキングダム読み切り版「蒙武と楚子」の内容となっていますが、かなり興味深いですよね。

史実としては人質として送り込まれた訳ではなく、昌平君は秦で生まれています。

そして蒙武と旧友だった、というのもキングダムオリジナルでしょう。

しかし「キングダム」では、この設定で展開するかもしれませんよね!

昌平君が反乱を起こし最後に蒙武に討ち取られる、という展開は起こりそうな気がしますよ。

この話での幼少期の蒙武と昌平君は、1巻の下僕時代のと漂のような描かれ方がされています。

毎日ケンカしお互いを切磋琢磨し、やがて二人で天下を取るみたいな野望を描くさまは、まさにあの頃の信と漂な感じでした。

読み切り『蒙武と楚子』における二人の関係を「嬴政と信のプロトタイプ」として位置づけると、若き日の昌平君と蒙武は、将来中華を揺るがすほどの『想い』を共に抱く戦友だったことが分かります。

その二人が、最終的には楚滅亡戦で『敵同士』として相まみえる悲劇的構図が予想されています。

ここは絶対目が離せない展開ですよね!

これからも頭に入れておかなきゃです(*^^*)

◆昌平君(しょうへいくん)が裏切りラスボスから死亡展開を予想!

「キングダム」39巻より

史実では現在の展開から12年後に楚が滅亡し、同年に昌平君が反乱を起こし戦死しています。

おそらくキングダムでもこの辺りは踏襲し、昌平君が反乱を起こす展開となるでしょう。

ただ昌平君がラスボスか、というとどうでしょうか?

その後にも燕と斉が残っていますし、この辺りは分かりませんよね。

しかし昌平君が秦を裏切り楚の将軍項燕と立ち上がり反乱を起こすことは、キングダムでも間違いないでしょう。

史実では最終的に楚王となって秦に反旗を翻ぎ、王翦・蒙武によって討たれるため、『キングダム』でも「最終盤のラスボス」「政サイド最大の裏切り者」候補として多くの考察記事に挙げられています。

史実通りに進めば、信や蒙武にとって、かつての師や親友が「最強の敵」として立ちはだかることになります。

近年の展開では、昌平君と李牧の頭脳戦が激化する一方で、彼の「楚の公子」としての側面が徐々にクローズアップされています。

特に「青歌」や「番吾」の戦いを経て、秦国が楚へ侵攻する際、昌平君がどのような葛藤を抱き、どのタイミングで離反するのかが最大の焦点となっています。

現在の連載においても、昌平君は依然として秦の頭脳ですが、読者の間では「いつ裏切るのか」「蒙武との決着はどう描かれるのか」が常に議論の的となっています。

本編657話で合従軍戦後のエピソードに唐突に挿入された昌平君のコマが、「楚の血」と「秦の軍師」という二重のアイデンティティを示す壮大な伏線だと分析されています。

読み切り『蒙武と楚子』の内容(楚子=昌平君)と照らし合わせて、楚王の公子「熊啓」としての血筋と嬴政に仕え中華統一を設計した軍師としての責務が、いずれ真っ向から衝突する構図になると予想されています。

もしかしたら昌平君は、媧燐の弟という回収がありながらの裏切り展開になるかもしれませんね。

この時に昌平君の傘下にある豹司牙(ひょうしが)の黒騎兵団と黄竜隊、さらに介億も昌平君に付いていき、楚軍として秦と戦う事になるのではとイメージします。

これ、本当に凄まじい展開になりそうですよね!

この戦いでの終盤で、昌平君と蒙武が直接対決し、長きに渡って仕掛けられた二人の伏線が回収されるのではと予想しますよ!

キングダムではかなり終盤な展開となるでしょうが、ここは見逃せないですね!\(^o^)/

昌平君の名場面を紹介!

39巻!呂不韋と袂を分かつ名場面

「キングダム」39巻より

嫪毐(ろうあい)の乱・加冠の儀編にて、嬴政は正式に31代秦王となります。

しかし呂不韋の手引きにより毐国にて反乱が起こり、咸陽は攻め込まれ秦は大ピンチとなってしまいます。

嬴政の加冠の儀が終わった瞬間、昌文君は反乱を鎮めるために真っ先に立ち、咸陽へ向かおうとします。

そのタイミングで、同じ様に立ち上がる昌平君。

「昌文君と共に咸陽へ行き反乱を鎮めて参ります」と、目の前に立つ呂不韋へ告げます。

それを聞き、表情を変える呂不韋。

もの凄い圧で「自分が言っている意味が分かっておるのか」と、問いただします。

裏で呂不韋が仕掛けた反乱でもあるため、それを部下であるはずの昌平君が鎮めると言っているのですから当然でしょう。

しかし、その言葉を聞いても全く怯まない昌平君。

「余計な問答は必要ない」

「察しの通りだ」

「世話になった」

完全に呂不韋と袂を分かつ宣言をする昌平君。

合従軍編から嬴政側へ付くような雰囲気のあった昌平君ですが、ここで完全に呂不韋から離れることになります。

現在では嬴政の中華統一を最も近い位置で支えている昌平君ですが、その嬴政の元へ移る瞬間となった熱い名場面となっています。

呂不韋に対し「世話になった」と短く告げ、自ら精鋭部隊を率いて咸陽へ急行するシーンは、彼の忠義と決断力を象徴する名場面です。

40巻!自ら敵将の首を取る名場面

「キングダム」40巻より

咸陽へ攻め込む毐国反乱軍を担っている戎翟公(じゅうてきこう)。

外側から攻め込んでいる反乱軍が咸陽へ流れ込んできたら壊滅してしまうため、昌平君は全てを仕切っている戎翟公の首を狙います。

河了貂の機転により、背後に壁を作られた戎翟公。

左右にも逃げ場は無くなり、攻め込んでいたはずがいつの間にか3方を囲まれてしまいます。

そのため、前方から駆け込んでくる昌平君に、逆に向かって走る戎翟公。

昌平君との一騎打ちに挑みます。

しかし中華最強と言われる蒙武レベルの武を誇る昌平君に、たったの2撃で討ち取られてしまいます。

これまで数々の策を示す名シーンはあった昌平君ですが、初めて見せる一騎打ちでの戦闘シーン。

むちゃカッコいいですよね!

刎ねた戎翟公の首を掲げるよう、部下の介億に指示する昌平君。

毐国反乱軍の外側を担っていた戎翟公の首を見た反乱軍は士気を失い、そのまま咸陽から逃げていきます。

この瞬間、毐国の反乱・呂不韋の失墜が決まります。

昌平君の初めてにして唯一の戦闘シーンは、キングダム前半にて描かれていた嬴政VS呂不韋の終幕を告げる最高な名シーンでした!\(^o^)/

◆蒙武と昌平君の重要伏線を徹底考察

10巻蔡沢の伏線「蒙武より昌平君のが強い」

蒙武と昌平君の初登場時となる10巻にて、蔡沢から指摘された「蒙武よりも強い昌平君」伏線。

その後は「武の蒙武」「智の昌平君」としてそれぞれが活躍し、この伏線は全くスルーされ続けていました。

しかし40巻にて、嫪毐の反乱を鎮める際に昌平君は圧倒的な武の力を魅せます。

この活躍により事実としては言い切れませんが、「蒙武より昌平君の方が強い」という蔡沢伏線が回収される形となりました。

介億から「誇張して言うなら武力は蒙武級」「誇張なしに頭脳は李牧級」と言われているので、現在では蒙武の方が強いのかもですね。

というよりも、この時の介億の解説にはもっと注目すべき点があります。

「幼少期はあの蒙武よりも強かった」

これ、蔡沢が言っていたのは「幼少期の頃」という意味かもしれませんし、さらに幼少期に蒙武と昌平君が戦って勝った事実があるということになります。

これも捨て置け無い伏線ですよね!

本編で確定した幼馴染み設定

本編「キングダム」でも昌平君は楚の出身となっています。

この辺りは史実でもそうなので、キングダムの昌平君も楚王と秦国昭王の血筋ということになりそうです。

10巻での蔡沢から言われた「蒙武よりも強い昌平君」発言も「二人が幼少期バトルし昌平君が勝った実績がある」という幼馴染み伏線にも見えます。

そして何より、61巻に登場した幼少期の蒙武と昌平君の描写から幼馴染み伏線確定でしょう!

これにより、「蒙武と楚子」のエピソード通り二人が幼馴染みというのは確定だと考えられます。

ただちょっと違った形になっているのかと感じるのが、「蒙武が昌平君の何かを背負っている」という描かれ方がされている事です。

幼馴染みであり二人で秦で立つと志を共にしているのならば、「何も背負う事は無い」と思うのですが…

蒙武が昌平君の何を背負っているのか?

ここは要チェックですね!

幼馴染である蒙武との関係性において「蒙武は人を背負って強くなる」と評される一方、昌平君自身がその「背負われる対象」から「敵」へと変わる悲劇的な未来が、両者のドラマをより一層重厚なものにすると予想されています。

伏線回収は楚攻めで!蒙武との最終決戦

現在最新話から11年後の紀元前223年に、秦が楚を攻めて楚は滅亡します。

おそらくこの展開で史実通り昌平君が楚王として立ち、秦を裏切る事になり戦死するでしょう。

もしかしたら昌平君は、媧燐の弟という回収がありながらの裏切り展開になるかもしれませんね。

この時に昌平君の傘下にある豹司牙(ひょうしが)の黒騎兵団と黄竜隊、さらに介億も昌平君に付いていき、楚軍として秦と戦う事になるのではとイメージします。

これ、本当に凄まじい展開になりそうですよね!

この戦いでの終盤で、昌平君と蒙武が直接対決し、長きに渡って仕掛けられた二人の伏線が回収されるのではと予想しますよ!

◆昌平君の声優 諏訪部順一さんを紹介!

項目内容
名前諏訪部順一(すわべじゅんいち)
身長173cm
誕生日1972年3月29日
年齢52才(2024年時点)
血液型A型
出身地東京都
所属東京俳優生活協同組合

昌平君の担当声優さんは、諏訪部順一さんですね。

「テニスの王子様」の跡部景吾役で有名な声優さんです。

さらに「黒子のバスケ」の青峰大輝役や「僕のヒーローアカデミア」のイレイザー・ヘッド@相澤消太役、その他にも数々の役をこなされている、人気と実力を兼ね揃えている声優さんですね!

昌平君役のバリトン声も、かなりハマっていますよ!

むちゃイメージ通りな昌平君でした(*^^*)

その落ち着いた声質が昌平君の冷静沈着な性格を見事に表現しています。

実写映画版:玉木宏さん

実写映画『キングダム』シリーズでは俳優・玉木宏が昌平君を演じています。

「麗しの昌平君」としてキャラビジュアルの人気が高く、その端正な容姿が昌平君のイメージにぴったりだと評価されています。

映画版では原作のシーンを凝縮しつつ、呂不韋陣営の軍師としての冷徹さと、政に傾いていく過程がよりドラマ性を持って描かれています。

◆昌平君(しょうへいくん)FAQ・よくある質問

Q:昌平君はいつ死ぬ?死亡時期は?

A:77巻・856話時点では未死亡です。

史実では紀元前223年頃、楚王として秦に反乱を起こし王翦・蒙武に討たれたとされますが、作中ではまだそこまで描かれていません。

現在の展開から約11年後の出来事となります。

Q:初登場はいつ(何巻・何話)?

A:単行本9巻で呂不韋四柱の一人として登場するのが初登場です。

この時点では呂不韋陣営の軍事部門トップとして、嬴政とは敵対する立場でした。

Q:どれくらい強い?武力と知略のランクは?

A:作中評価として「頭脳は李牧級、武は蒙武級」と言われる最上位クラスです。

軍略面では李牧・王翦と並ぶ中華最高峰、武力面でも一騎打ちで将を瞬殺するレベルです。

公式ガイドブックでは知力99、指揮力97、武力90という数値が示されています。

Q:代表的な名シーンは?

A:嫪毐の乱で呂不韋を見限り「世話になった」とだけ告げて去るシーンが最も有名です。

什虎城を魏に差し出す交渉で、秦の損得を冷徹に計算し尽くす場面も印象的です。

読み切り『蒙武と楚子』で、楚の血と秦での立場の間で心を追い込まれ楚へ向かう姿も重要なシーンとなっています。

Q:史実のモデルは?

A:戦国末期の秦の将・宰相「昌平君」です。

楚王の子で、秦に人質として送られ、その後秦で昇進したのち楚王として反秦の蜂起を起こし、王翦・蒙武に討たれる人物です。

Q:最終的に秦を裏切るの?

A:史実では楚に寝返っているので、作中でも裏切りの可能性は極めて高いと多くの考察が指摘しています。

ただし原作ではまだ忠臣として振る舞っており、「どのタイミングで・どんなドラマを経て裏切るか」が最大級の伏線の一つとされています。

Q:なぜ呂不韋に最後まで従わなかった?

A:嫪毐の乱で呂不韋が全てを知りつつ放置していたこと、秦王政の側についた方が「自らの理想(中華統一)」に近いと判断したためと解説されることが多いです。

昌平君は物事に意味を求める性格であり、呂不韋の私利私欲よりも中華統一という大義を選んだと考えられます。

Q:蒙武との関係は?

A:読み切り『蒙武と楚子』および本編61巻の描写から、二人は幼馴染であることが確定しています。

幼少期は昌平君の方が強く、蒙武と切磋琢磨しながら成長してきました。

史実では最終的に楚攻めで敵対し、蒙武に討たれることになるため、この関係性が今後の最大の見どころとなっています。

Q:媧燐との関係は?

A:媧燐は作中で「唯一の身内である弟を探して荒野をさまよう」姿が描かれており、昌平君が媧燐の弟である可能性が高いとされています。

媧燐と昌平君が考烈王の子供であった場合、楚王室との血縁関係がより強調されることになります。

Q:実写映画版では誰が演じている?

A:実写映画『キングダム』シリーズでは俳優・玉木宏が昌平君を演じています。

その端正な容姿とクールな演技が、原作の昌平君のイメージにぴったりだと高評価を得ています。

Q:昌平君は李牧とどちらが強い?

A:軍略面では互角とされ、「頭脳は李牧級」と評されています。

李牧は将軍として戦場で直接指揮を執り「奇策」を好むのに対し、昌平君は右丞相として王宮で全体戦略を立案し、軍議で多くの武将・軍師と議論しながら最も勝率の高い作戦を導き出すスタイルです。

武力面では昌平君の方が上とされ、李牧は純粋な軍略家タイプですが、昌平君は武力90という将軍級の戦闘力も持ち合わせています。

中華の両極に立つ「二大軍略家」として、秦VS趙の知略構図の片翼を担う存在です。

Q:昌平君の師匠・胡昜とはどんな人物?

A:胡昜(こしょう)は秦の六大将軍の一人で、昌平君の軍略の師匠です。

胡昜は昌平君について「軍略の才だけで六将の席に割り込んでこれる逸材」と高く評価していました。

この師弟関係は、昌平君が王翦を重視する理由の一つともなっており、鄴攻めでは王翦に対して「現場判断で策を捨てても良い」という柔軟な指示を出すなど、師匠譲りの深い信頼関係が見られます。

昌平君の卓越した軍略センスは、この胡昜から受け継いだものと言えるでしょう。

Q:黒騎兵とは何?

A:黒騎兵(こっきへい)は、昌平君が率いる直属の近衛兵団です。

全身を黒い甲冑で覆った精鋭部隊で、その戦闘力は数的不利をものともせず反乱軍を蹂躙するほど圧倒的です。

部隊を率いる団長・豹司牙(ひょうしが)は、武力89・指揮力88・知力85という高い能力を持つ実力者であり、昌平君の「武」の側面を支える重要な戦力となっています。

嫪毐の乱では、この黒騎兵がわずか千の兵で敵兵3万に立ち向かい、見事に反乱を鎮圧しました。

史実通りに昌平君が楚へ離反する際には、この黒騎兵も共に楚軍として秦と戦うことになるのではと予想されています。

Q:昌平君は結婚している?家族は?

A:作中では昌平君の結婚や家族についての描写は77巻時点ではありません。

ただし、出自については明確で、楚の考烈王と秦の昭襄王の娘の間に生まれた公子であり、幽王・哀王・負芻とは異母兄弟の関係にあります。

また、媧燐(かりん)が「唯一の身内である弟を探している」という描写から、昌平君が媧燐の弟である可能性が高いと考察されています。

史実では昌文君と叔父・甥の関係とされていますが、キングダムではこの設定は採用されていないようです。

今後、楚への離反展開の中で家族関係が明かされる可能性はあります。

まとめ:昌平君は最後に裏切りラスボスになる!?

今回は昌平君を史実、総集編、そして77巻最新話から見てきました。

これまでにも合従軍編、嫪毐(ろうあい)の乱編で名場面があった昌平君ですが、最も大きな見どころはこれから先にありそうですね!

おそらくは「キングダム」終盤に登場しそうです!

昌平君と蒙武の重要伏線まとめ

  • 蔡沢の「蒙武よりも強い昌平君」伏線は、二人が幼少期に戦った事があるという意味
  • 介億の「幼少期はあの蒙武よりも強かった」も同様の幼馴染み伏線
  • 蒙武の昌平君を「背負っている」イメージは、要チェック
  • 二人の伏線の全ては11年後の楚攻めで回収される
  • 昌平君は最後に楚王として秦を裏切り、王翦・蒙武と戦う運命

この記事で分かった昌平君の全て

  • 昌平君は楚王の公子でありながら秦の軍総司令として活躍する文武両道の天才
  • 知力99、武力90という作中最高峰の能力を持つ
  • 蒙武とは幼馴染で親友だが、最終的に敵対する悲劇的な運命
  • 史実では紀元前223年に楚王として反乱を起こし王翦・蒙武に討たれる
  • 媧燐の弟である可能性が高く、楚の血筋が裏切りの伏線
  • 呂不韋四柱から政の右腕へ転身した重要な転換点が嫪毐の乱
  • 声優は諏訪部順一さん、実写版は玉木宏さんが演じる

これらの伏線は間違いなく昌平君の裏切り展開に繋がる伏線であり、もしかしたら「キングダム」が一番盛り上がる一番の見せ場への伏線かもしれません。

完全にマストで押さえておかなければいけない伏線でしょう!

蒙武と昌平君。

二人は最後の最後まで、要注目ですよ!

これから先も、昌平君は要チェックですよ!\(^o^)/