「キングダム」で常に仮面を被り、素顔を見せない王翦(おうせん)将軍。
「自分が王になりたい」という野望を持ち、降した敵将を家臣に誘う姿から「危険人物」というイメージがつきまとっています。
息子の王賁(おうほん)にも冷たく接する様子は、読者に不気味な印象を与えていますよね。
では、史実の王翦も本当にそのような人物だったのでしょうか?
この記事では、以下について検証します:
– 史実の王翦は野望を持った危険人物だったのか?
– 仮面の下の素顔はどんな姿なのか?
– 王翦の最期はどうなったのか?
– 番吾の戦いでの敗北とその後の展開は?
史実から王翦の真実に迫ります!
◆王翦(おうせん)プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 王翦(おうせん) |
| 出身 | 秦国・頻陽県東郷(現在の陝西省渭南市富平県北東) |
| 身分・役職 | 秦国大将軍 → 新六大将軍第三将 |
| 家族 | 息子:王賁(玉鳳隊隊長)、孫:王離(史実) |
| 得物 | 矛 |
| 特徴 | 目元を隠す仮面状の兜を常に装着 |
| 初登場 | 17巻第183話『第三勢力』(始皇4年/紀元前243年) |
| 推定年齢 | 50代前半(函谷関の戦い時38歳、鄴攻め時43歳程度と推測) |
| 声優 | 堀内賢雄 |
◆最新の生死・動向(番吾の戦い以降)
王翦は生存しているが、最大の危機を迎えた
**【結論】王翦は生存しています。**
しかし、趙国攻略戦の要所である「番吾の戦い(ばんごのたたかい)」において、李牧の策と青歌軍の猛攻により軍が半壊するほどの大敗を喫しました。
「負けない戦」を信条とする王翦にとって、この敗北は作中で初めての大きな挫折となっています。
番吾の戦いでの被害状況
この戦いで王翦は、腹心である将軍たちを相次いで失う痛恨の事態となりました。
**亜光(あこう)**: 第一将。王翦軍の武の象徴でしたが、青歌軍との激闘の末に戦死しました。
**田里弥(でんりみ)**: 第三将。王翦を逃がすために殿(しんがり)を務め、司馬尚(しばしょう)らの前に立ちはだかり死亡しました。
**麻鉱(まこう)**: 第二将。以前の朱海平原の戦いで既に戦死しています。
**倉央(そうおう)**: 第四将。唯一生存し、王翦と共に撤退しましたが、パートナーである糸凌を戦場に残す形となりました。
**糸凌(しりょう)**: 倉央の副官。ジ・アガらと交戦し重傷を負いましたが、青歌軍最強の怪力を持つとされるジ・アガを討ち取るという大金星を挙げています。その後の生死については生存の可能性も示唆されています。
現在は、壊滅的な被害を受けた軍の立て直しと、失った幹部の穴埋めが急務となっている状況です。
王翦の精神的復活と軍の再編
予期せぬ大敗により一時的に茫然自失の状態に陥った王翦ですが、救援に来た亜花錦から「落ち込んでいる場合か」と不遜な態度で檄を飛ばされたことで正気を取り戻し、再起への意欲を見せました。
新・王翦軍の体制として、唯一生き残った古参の倉央に加え、新たに辛勝(しんしょう)、奈烙(ならく)、晏戒(あんかい)といった将軍らが軍の幹部として名を連ねていることが確認されています。
◆史実のキングダム王翦(おうせん)を検証!

史実の王翦とは?
王翦将軍が史実に登場するのは「鄴攻め」からです。
キングダムの展開通り、趙の鄴陥落を桓齮(かんき)と楊端和(ようたんわ)で達成したとされています。
その後も趙、楚を滅ぼしており、「秦の中華統一に最も尽力した人物」と言っても過言ではないでしょう。
史実としても王賁の父であり、この時代には珍しく天寿を全うした人物として記録されています。
多くの武将が戦死や処刑で命を落とす中、史実の王翦は中華統一を見届けた後、畳の上で死ぬことができた数少ない幸福な将軍とされています。
キングダム王翦を史実と比較検証!
「キングダム」に登場する王翦将軍は、常にマスクを被り野心家として描かれています。
さらに「王賁を実の息子ではない」と疑っている描写が散見され、それでも認めてもらおうと必死な王賁が切なく見えるくらいの冷たさが垣間見えます。
これらは全て「キングダムオリジナルの設定」と思われます。
キングダム通り王翦将軍は「負ける戦はしない」人物として史実に登場しますが、「マスクをしていた」「自分が王になりたい野心家」「息子王賁に冷たい」という描写は確認できませんでした。(アース調べ)
史実から読める王翦という人物は、「家や家族を思う、頭のキレる人物」であり「野心家」からは真逆な印象でした。
キングダムオリジナルの設定部分は、いずれ登場するであろう王賁とのドラマの為のオリジナル設定だと思われます。
例えば、王賁に対する冷たい厳しい言動も、マスクを被っていた方がより冷たく感じられますよね!
そのような演出の為のマスクなのだろう、と考察できます。
史実における王翦の処世術
史実の王翦は、紀元前225年には隠居を願い出るほどで、昭襄王の時代から仕えていた可能性もあります。
かつて同僚だった白起が大きな手柄を立てながら、宰相・范雎に活躍を疎まれ讒言により秦王から死を賜ったのをリアルタイムで見ていた筈です。
楚攻略の際、秦王政が隠居した王翦を呼び出し秦の全軍60万人を預けた時、王翦は何度も秦王に恩賞の屋敷や土地の事について確約を取り付けようと使者を出して回答を求めています。
部下が大事の前にそんな些細な事を心配するべきではないと言うと、王翦は「今、私は秦の総兵力を預かっている。
少しでも私に野心があると見做せば、秦王は戦が終わってから、ワシを危険視して即座に殺すだろう。
土地や屋敷の恩賞にしか関心がない小者だと思わせればいい」と答えました。
秦王政は王翦の小者ぶりに呆れ、恩賞を約束すると同時に警戒心を解きました。それにより王翦は天寿を全うできたのです。
人を信じず、徹底して疑い保身に徹した賜物でした。
◆王翦の性格と人物像
超慎重主義・安全志向
「六国を滅ぼせる可能性があるか」「自分にとって利があるか」を常に計算し、勝算のない戦には一切乗らない姿勢が特徴です。
嫪毐の乱後など、政の体制が盤石になるまでは決定的な戦に出ないなど、徹底して身の安全・勝ち筋を優先する態度として描かれています。
かつて蒙驁の下で一緒に副将を務めていた桓騎からは「負ける戦は絶対に始めない」と評されています。
野心家・現実主義
史実では「自立して王になる野心があった」とされる逸話があり、作中でも「自ら中華を取る可能性を捨てていない男」として何度か示唆されています。
「私は”絶対に勝つ戦”以外、興味はない」という言葉に象徴されるように、徹底した合理主義者です。
ただし、現時点ではあくまで秦軍将として合理的に動いており、露骨な反逆行動はありません。
自分の領地を「国」と呼び、敵将でも能力があるものは執拗に勧誘する点も特徴的です。
魏将で廉頗の配下である弓の名手の姜燕もスカウトされていました。
昭襄王の時代から日陰者として敬遠されていたのは、このような野心が警戒されていたためです。
感情をほとんど出さない寡黙さ
常に兜と仮面で素顔を隠し、感情表現も極端に少ない人物として描かれています。
息子の王賁に対しても、ほぼ仕事上の会話のみで、情を見せる場面は極端に抑えられています。
その目は味方も不安にさせると河了貂も語っており、人を寄せつけない冷たい光を放っています。
序列を無視した、事前に通告もない勝手な戦略の変更を行うため、味方であっても王翦が何を考えているか分からず、恐怖や不信を生み出しています。
冷徹だが「兵を無駄死にさせない」合理性
自軍損害の抑制にこだわり、むやみな突撃・消耗戦は避ける姿勢が一貫しています。
兵の命を単なる消耗品ではなく「勝つための資源」として扱うタイプで、「熱血的美談」とは対極のリアリストです。
政・昌平君などからの評価
政は「王翦は信用し切れないが、戦に関しては絶対的に信頼している」ニュアンスで描写されています。
昌平君は軍才を高く評価する一方で、独立志向の危険性もよく理解している描き方がなされています。
秦六将・胡傷から「軍略の才だけで六大将軍の席に割って入ることの出来る」、三大天・廉頗から「白起に匹敵」、秦国内では「王騎と同等」と評価される名将です。
◆王翦の強さ・戦闘スタイル
個人武力
個人武勇は高いと推測されるが、作中ではほとんど前線で斬り結ぶ描写はありません。
史実でも「名将」ではあるが「豪傑タイプ」の逸話は少なく、作中もあくまで軍略・統率に比重が置かれています。
軍略・用兵スタイル
情報収集と地形・兵力差を徹底的に分析し、「敵が絶対に嫌がる配置」をじわじわ作るタイプです。
**典型的な特徴:**
– 主力温存・決戦ポイントを自分で選ぶ
– 敵の突出・過伸を誘って一気に叩く
– 偽装撤退や圧をかけるだけの「脅しの布陣」も多用
– 自軍の士気管理よりも、敵の士気崩壊タイミングを計算する
築城・地形利用
山陽の戦いやギョウ攻略戦で見せたように、即興で砦を作ったり、敵の意表を突く兵糧攻めを行ったりと、型にはまらない戦術を得意とします。
心理戦
敵将の心理を読み、罠に嵌めることに長けています。
合従軍編では燕のオルド将軍の心理を逆手に取り、無傷で勝利しました。
◆王翦の人間関係
嬴政(えいせい/秦王)
王翦の能力を誰よりも理解しており、「最終的に中華統一を現実にしてくれる駒」として重用しています。
一方で、王翦の野心を警戒しており、簡単には「全権」を渡さないバランス感覚で接しています。
王賁(おうほん)
実子ですが、情のやり取りよりも軍人同士の関係性が前面に出ています。
王翦は息子が小さな頃から滅多に接することがなく、武芸の指導を少ししただけでも周囲に驚かれていました。
王賁自身も父との深い溝を感じている様子ですが、父の言う事には黙々と従うなど、反抗的な態度を見せることはほぼありません。
2人の関係性の裏には、王賁の出生に関わるある秘密が隠れている様子で、王賁の母は「王翦の妻になる前に身籠っていた」と噂されています。
つまり王翦と王賁は血が繋がっていない可能性があり、これが真実ならば2人の関係性がギクシャクしていることにも納得がいきます。
王賁は父の背を追い超えようとしていますが、王翦はあくまで「戦力としてどこまで使えるか」を見ている冷静さがあります。
李牧(りぼく)
対趙戦における最大の宿敵ポジションです。
ギョウ攻略戦では勝利したものの、番吾の戦いでは敗北しました。
互いにその知略を認め合う関係性で、朱海平原での直接対決では、李牧が仕掛けてきた「起こり」を利用した戦術を理解し、その戦術が「本能型」の戦術であることを王翦は見破っています。
それを5年前に麃公と戦った際に見つけた戦術であろうと察し、一度だけ戦った麃公から「本能型」の戦い方を理解し身につけた李牧に対して「認めざるを得ぬな 李牧」「私と同じ」「怪物と」とつぶやいています。
桓騎(かんき)
同じ「対趙大戦線の主力将軍」だが、価値観や戦い方は真逆です。
王翦は桓騎を「結果を出しているから使うが、秦王政の求める統一後の秩序と噛み合わない危険な駒」と冷静に認識している描かれ方がなされています。
信・蒙恬
まだ「同格の大将軍」ではなく、王翦からすれば「将来有望な若手」という位置づけです。
特に今回の趙攻略戦では、李牧が青華雲に次の標的として信を指示していることが明かされており、王翦にとっても「未来の六大将軍候補を守り切れるか」が長期戦略上のポイントになっています。
亜花錦(あかきん)
玉鳳隊所属ですが、番吾の戦いでは窮地の王翦を救出する活躍を見せました。
王翦が精神的に落ち込んでいる際に「落ち込んでいる場合か」と不遜な態度で檄を飛ばし、王翦を正気に戻すきっかけを作った人物です。
◆王翦軍の構成
元々は蒙驁の指揮下にいた王翦は、役に立てば敵軍でもスカウトする貪欲さで、猛将から知将まで幅広い人材を揃える事に成功しています。
王翦軍は神出鬼没の用兵と圧倒的な戦略眼を持ち、合従軍編では燕軍の将軍オルドを神出鬼没の用兵で疑心暗鬼にさせ、山に足止めした上でフェードアウトさせました。
王翦軍の主力将構成
**鄴攻略〜朱海平原時代:**
– 第1軍:亜光(あこう) → 朱海平原の戦いで戦死
– 第2軍:麻鉱(まこう) → 朱海平原の戦いで戦死
– 第3軍:田里弥(でんりみ) → 番吾の戦いで戦死
– 第4軍:倉央(そうおう) → 番吾の戦い後も生存
**番吾の戦い以降:**
– 第一将 奈烙(ならく)
– 第二将 晏戒(あんかい)
– 第三将 辛勝(しんしょう)
– 第四将 倉央(古参、唯一の生き残り)
– 第五将 李寿(りじゅ)
◆王翦の戦歴年表
| 時期/巻数 | 戦役 | 内容 |
|---|---|---|
| 17巻 | 初登場 | 王賁と共に第三勢力として登場(始皇4年/紀元前243年) |
| 19巻〜 | 山陽攻略戦 | 蒙驁の副将として参戦。廉頗四天王・姜燕と戦い、独自の判断で撤退・籠城し勝利に貢献 |
| 合従軍編 | 函谷関の戦い | 函谷関の守備を担当。燕軍のオルドを翻弄し、函谷関裏への侵入を防ぐ |
| 45巻〜59巻 | 鄴攻略戦 | 総大将として李牧と直接対決。兵糧攻めという奇策を用い、秦軍を勝利に導く |
| 鄴攻略戦中 | 朱海平原の戦い | 李牧との直接対決で互角以上に渡り合う。麻鉱・亜光を失うも戦略的勝利 |
| 六大将軍就任後 | 武城攻略 | 始皇十三年、六大将軍第三将に任命。武城を攻めながら邯鄲へ偵察 |
| 始皇十四年 | 閼与戦 | 予想外の損失を被り、閼与城で自軍の立て直しを行う |
| 始皇十五年 | 番吾の戦い | 李牧の策略により司馬尚率いる青歌軍に大敗。亜光と田里弥を失い更迭 |
史実における今後の戦歴(ネタバレ注意)
| 時期 | 戦役 | 内容 |
|---|---|---|
| 始皇11年(紀元前236年) | 鄴攻略 | 趙の鄴を攻め、桓齮・楊端和とともに9城を攻略。その後、単独で閼与・橑楊などを攻めて戦果を拡大 |
| 始皇18年(前229年) | 趙侵攻 | 大軍の指揮を執り、羌瘣・楊端和とともに趙を攻める。井陘から侵入し、李牧・司馬尚体制の趙軍と対峙 |
| 始皇19年(前228年) | 趙滅亡 | 李牧・司馬尚が讒言で失脚した後、趙葱・顔聚を破り、幽繆王を捕らえて趙を滅亡させる |
| 始皇20〜21年(前227〜226年) | 燕攻略 | 燕・代連合軍を易水西で破り、薊を落として燕の太子丹を討つ |
| 始皇23〜25年(前224〜222年) | 楚攻略 | 楚攻略の総大将に再登板。60万の大軍を率いて項燕を破り、楚を滅亡させた上で江南・百越まで平定し会稽郡を置く |
◆「キングダム」オリジナル王翦を検証!

鄴の食糧問題解決策はオリジナル!
王翦(おうせん)は、実在した名将です。
史実として、鄴陥落に関わっています。
しかしこの鄴陥落の最後の見どころとなっている「王翦の食糧問題解決」は、キングダムオリジナルな展開となっています。
58巻で鄴を落とした秦は、鄴に入城ます。
しかし鄴には食糧はなく、最も大きな問題である食糧問題は解決できずこのままでは飢餓で全滅してしまうだろうと蒙恬から予想されています。
そこを見越して李牧(りぼく)も一旦引き返したのだろう、と考えられる展開となっていました。
しかし、王翦将軍は出陣する際に予め昌平君経由で同盟を結んでいる斉に食糧の援助を頼んでおり、これが59巻に登場し食糧問題を解決します。
食糧問題が解決する展開は639話「吉報」あらすじ感想考察!にて、見られます。
つまり、王翦将軍は鄴攻め出陣の時点で食糧問題が発生する事を予想しており、昌平君に依頼し対策していたということになりますね!
史実の王翦将軍が非常に先を読むキレ者な将だっただけに、そのイメージから生まれた展開なのでは、と感じられました!
王翦のマスク
キングダム王翦将軍のマスクは、ある意味トレードマークにもなっていますよね。
これまでにマスクを外した描写は登場していないのでは、と思われます。
これは先にも述べましたが、同じくオリジナル設定となっている王賁との関係を演出するための設定なのでは、と考えられます。
王賁に対する態度を、より厳しく冷たく見せる為の演出かなと。
さらにマスクを外す場面を作る為の設定かな、と予想できます。
史実には記述のない漫画オリジナル設定です。
「表情や目線を隠して思考を読ませないため」という戦略的な理由のほか、「王賁と顔が似ている(あるいは似ていない)ことを隠すため」といった血縁の謎に関連する伏線ではないかとも考察されています。
王翦の野心
キングダムの王翦は、自身が王になりたいと思っている野心家として描かれています。
これも史実には残っていない、オリジナルの設定となっています。
おそらくですが「王」という姓と、楚を討つ際に「美田屋敷を」と嬴政に乞うていたところからのイメージから生まれた設定なのでは、とアースは妄想しています。
「王」姓と領地所望からイメージされた設定なのでは、妄想します。
王賁(おうほん)との関係
史実で王翦と王賁親子の仲が悪かった、という記録は見つけられませんでした。(アース調べ)
紀元前226年の燕の太子を討つ際、王翦と王賁は親子で王都薊を落としています。
二人で落としたというこの史実からも、決して仲が悪かった訳ではないだろう、と考えられます。
事実王翦はその後、王賁に家督を譲っています。
史実では、むしろ良好な親子関係だったのでは、と察せられるくらいです。
この王賁との不仲、自分の血統ではないかもという疑いも、全てキングダムオリジナルの設定のようですね。
◆王翦名場面を紹介

王翦は各所で名場面が登場していますが、最も活躍したのは45巻から始まった「鄴陥落編」でしょう。
李牧と一騎打ちをし、勝って魅せた王翦。
「鄴陥落編」から、王翦の名場面を2つ紹介します!
鄴陥落編序盤での名場面

鄴を攻略するため列尾を攻め落とした王翦率いる秦軍。
しかし列尾に仕掛けられた李牧の罠に気付き、王翦は小隊を率いて鄴を確認しに行きます。
そこで見た、李牧が改修した鄴を見て一言。
「完璧な城だ」
「あの城は攻め落とせぬ」
実際攻め落とさず勝った王翦の伏線とも言える一言。
さらに敵地の只中で地図を広げ、策を練り始めます。
趙の第二都市である趙の最深部で、座り込んで策を練る王翦。
やはり、趙兵に見つかってしまいます。
その趙兵を見て、側近の亜光将軍に一言聞く王翦。

「…」
「よいか?」
「心ゆくまで」
最っ高ですよね!
見つかった趙兵の数を「倍程度」と聞き「良いか?」と聞く王翦。
「このまま策を練っても良いか?」という意味ですが、「倍程度」と報告を聞いて尋ねる質問ではないですよね(笑)
それを「心ゆくまで」と答える亜光将軍も半端ない!
実際にこの時に練った策で59巻まで進み李牧を退け、王翦は鄴を陥落させています。
これはこの時の亜光将軍が「心ゆくまで策を練らせたから」でしょう。
単純にこのやり取りだけでカッコ良いシーンですが、そう考えると震えが来るほどの名シーンだと分かりますよ!
最高な王翦将軍の名場面となっています。
鄴陥落編終盤での名場面

朱海平原で直接対決となった李牧と王翦。
李牧が仕掛けてきた「起こり」を利用した戦術を理解し、その戦術が「本能型」の戦術であることを王翦は見破ります。
それを5年前に麃公と戦った際に見つけた戦術であろうと、察します。
一度だけ戦った麃公から「本能型」の戦い方を理解し身につけた李牧に、王翦はつぶやきます。
「認めざるを得ぬな 李牧」
「私と同じ」
「怪物と」
自らが王となり国を作る事が目的である王翦は、「天上天下唯我独尊」というくらい自分の唯一の存在であると捉えています。
その王翦が相手を「自分と同じ」と認めるシーンはこれが初めてであり、これ以降にも登場していません。
これは李牧のスゴさを表しているシーンでもありますが、自分の才覚に驕らずキチンと相手を理解してる王翦の姿勢も感じられる素晴らしい名シーンと言えるでしょう!
最終的には王翦が李牧を破りますが、それは信が龐煖を破ったからであり二人の戦いは互角でした。
そういう意味でも、「二人は同じ怪物」という言葉は当たっています。
色々な意味で、素晴らしい名シーンですよね!
山陽の戦いでの名言
山陽の戦いでは、姜燕との対峙で王翦の冷徹な戦略眼が光りました。
**「私の目に狂いはない」**
**「あ奴は、いい囮になる」**
**「敗軍の将には”死”を!」**
**「……だが、私は慈悲深い」**
**「これよりこの私に仕えるのだ」**
**「私の”領内(くに)”は、うぬのような戦の強い男を必要としているのだ」**
**「私は”絶対に勝つ戦”以外、興味はない」**
これらの言葉は、王翦の「勝利至上主義」と「人材収集への執念」を端的に示す名言となっています。
鄴攻略・朱海平原関連の名言
鄴視察時の**「完璧だ。完璧な城だ、あの城は攻め落とせぬ」**という冷静な判断。
列尾突破後の**「つまりここからは、この王翦と李牧の知略の戦いだ」**という宣言。
右・左翼の戦況を読んで**「愚問だ、倉央。越えると読むから、ここまで前に出て来たのだ」**という自信。
攻勢転換時の**「面倒だ。まとめて一気に決着をつける」**という豪快さ。
李牧との対話での**「下らんな、歴史の重みで国が救われるものではない」「上に立つ者共が馬鹿の集団であれば、それだけで国は亡ぶ」**という国家観。
兵糧問題の解決策提示**「”逆”から運ぶ。つまり”趙”をはさんで反対側の”斉”から運ぶのだ」**という発想の転換。
日頃、言葉数が少ない王翦。
それだけに一言一言が重く、意味深いですよね。
これからの王翦の活躍にも要注目ですよ!\(^o^)/
◆王翦の最後を予想!

先ほど挙げた226年で王翦と王賁が燕の王都を落とす展開で、攻めあぐねている王翦を王賁が兵を連れて助けに行き達成したという史実があります。
その翌年、魏攻めでは王賁が大活躍をしており、さらに翌年の224年には王翦は隠居を嬴政に申請しています。
この辺りで、王翦は王賁に家督を譲る史実があったかもですね!
ただ、この後も史実として王翦は223年の楚の滅亡までは活躍するので、キングダムとしてはその後に王賁に家督を譲る場面が登場するかもです。
さて、この家督を譲るシーンではどのような展開がイメージできるでしょうか?
具体的に予想してみましょう!
王翦の最期は、死亡前に素顔を見せ終わる?
病気で臥せっている王翦。
その傍に王賁がいます。
これまで自分が王を目指していた理由が「王家の繁栄」の為であったと語る王翦。
ひいては王賁を思ってのことだった、という意味であると王賁は理解します。
そして、マスクを外すと王賁そっくりな顔が登場!
そこで「ふっ」っと笑い、王翦は言います。
「俺はお前が自分の子だと疑ったことはない」
「お前は俺にそっくりだからな」
「知も武も、この顔も」
それを聞いてボロボロ涙を流し、号泣する王賁…
「お前に家督を譲る」と、最期に王賁に言葉をかけ、そのまま王翦は絶命します。
こんな熱い展開を期待してしまいますよ!\(^o^)/
というか、こんな場面が見たいなぁ…(願望)
今回の考察で史実の王翦将軍が名将であり、キングダム王翦将軍の「野心」と「マスク」と「王賁との不仲」が『家督を譲る最後の場面への伏線設定』であると予想できました!
王翦将軍リタイアの場面まで、二人の展開は要チェックですよ!\(^o^)/
◆王翦の役割・立ち位置
中華統一という「結果」を担保する現実派の象徴
主人公側が理想と情熱で動く一方、王翦は「勝ち筋だけを見る冷徹な大人」として配置されています。
信・王賁・蒙恬らが「どう戦うべきか」を模索する中、王翦は常に「どう勝つか」だけを考える存在として描かれています。
「信・王賁・蒙恬」世代の到達点比較用ベンチマーク
3人が最終的に六大将軍としてどのレベルに到達すべきか、その上限を示す存在です。
王賁にとっては「超えるべき父」であり、信・蒙恬にとっても「同時代最強クラスの戦略家」として乗り越えねばならない壁として機能しています。
将来の不安要素・政との緊張関係の火種
史実的には「王翦が独立王国を作る可能性を秦王が恐れた」という話があり、作中でも「もし政との信頼が崩れたら最大級の内乱要因になりうる男」として伏線的に描かれています。
しかし史実では裏切らず、秦の将として最後まで働き、楚・趙・燕などを滅ぼす大功を立てています。
ただし作中でも「自ら中華を取る野心」が示唆されており、どこまで史実通りに描くかは作者の裁量次第というのが各種考察の共通見解です。
◆アニメ版声優・実写映画予想
アニメ版声優
アニメ『キングダム』で王翦役を演じているのは、ベテラン声優の**堀内賢雄**です。
堀内は海外ドラマや映画の吹き替えを多数担当しており、ブラッド・ピットやベン・スティラーの吹き替えを担当する「ブラピ声優」としても知られています。
低く抑えた声音と、ほとんど抑揚のない話し方で「感情を読ませない」感じが強調されています。
原作以上に「間」を取った台詞回しが多く、軍議シーンでは他キャラよりもさらにゆっくり話すため、威圧感と不気味さが増しています。
作画面では、仮面と鎧の威圧感が強調され、アップになるカットが少ない=「何を考えているか分からない」印象づけが顕著です。
実写映画版予想
実写映画版については、王翦はマスクをつけているため顔のほとんどが隠れており、目に印象がある人、さらに何を考えているのか分からないミステリアスな雰囲気の人が適役とされています。
予想で1番名前が挙げられているのが**阿部寛**で、他にも目の印象が強い筧利夫、市川海老蔵、唐沢寿明といった俳優陣の名前も挙がっています。
◆よくある質問(FAQ)
Q:王翦は最終的に裏切って秦から独立しますか?
A:史実では裏切らず、秦の将として最後まで働き、楚・趙・燕などを滅ぼす大功を立てています。
ただし作中でも「自ら中華を取る野心」が示唆されており、どこまで史実通りに描くかは作者の裁量次第というのが各種考察の共通見解です。
Q:王翦と王騎、どちらが強いの?
A:方向性が違うため単純比較は困難です。
王騎は個人武勇とカリスマを前面に出す「先頭に立つ将」、王翦は「大軍を長期運用し国を滅ぼすタイプの戦略家」です。
物語的にはどちらも「秦最強クラスの将軍」として描かれています。
Q:王翦は六大将軍の一人ですか?
A:はい。原作では信・王賁・蒙恬らと同時期に「新六大将軍制度」が復活し、そのメンバーの一人(第三将)として名を連ねています。
Q:現在の戦い(趙攻略戦)での立ち位置は?
A:秦軍北部大連合軍の総大将として、司馬尚軍・李牧軍と対峙していましたが、番吾の戦いで大敗し、現在は閼与で軍の立て直しを図っています。
右翼では楊端和が青華雲の矢で一時離脱し、フィゴ王ダントも重傷・死亡確定説が出ており、さらに青華雲が次の標的として飛信隊の信を狙う展開になっています。
Q:史実だとこの後どうなるの?
A:史記などによれば、王翦はこの後も秦の主将として活躍し、趙攻略の総仕上げ(邯鄲包囲)、楚侵攻(楚滅亡)、燕・代侵攻などで大軍を率いて勝利を重ねています。
ファン考察でも「王翦は趙滅亡戦の後、燕・代遠征の総大将になる」という予想が多く、作中でもそれをなぞる可能性が高いと見られています。
Q:番吾の戦いでの敗北は王翦の終わりを意味するのですか?
A:いいえ。現在の敗北は王翦の終わりの始まりではなく、後の復活と最大の功績への布石と考えられます。
史実において王翦は、この後も秦の中華統一において最大級の功績を挙げており、特に楚攻略では60万の兵を率いて楚を滅ぼすという偉業を成し遂げています。
Q:王翦の仮面には何か意味があるのですか?
A:史実には記述のない漫画オリジナル設定です。
「表情や目線を隠して思考を読ませないため」という戦略的な理由のほか、「王賁と顔が似ている(あるいは似ていない)ことを隠すため」といった血縁の謎に関連する伏線ではないかとも考察されています。
最終的には、王賁に家督を譲る際に素顔を見せる場面が来るのではないかと予想されています。
Q:王翦と王賁の関係は今後改善されますか?
A:史実では親子で協力して燕を攻略しており、その後王翦は王賁に家督を譲っています。
このことから、作中でも最終的には和解し、王賁が父の真意を理解する展開が予想されています。
特に王翦が素顔を見せ、「お前は俺にそっくりだ」と認める場面が来るのではないかと多くのファンが期待しています。






