エレン・イエーガー

【進撃の巨人】ネタバレ123話考察!エレンの「命」を検証!駆逐する対象とは?

123話にてエレンの目的が「地鳴らし」だと判明しました。

こうなると、124話以降の展開が「ラグラノク」になるのだろう、と察せられますよね。

エレンの地鳴らしにより、世界が終末を迎える展開…

しかしいっぽうで、「本当にそうなるのか?」との疑問も残ります。

そんな救いのない展開になるのだろうか、と。

そのように考察されるコメントが、多々見られるのも実際あります。

エレンが駆逐すると宣言した「命」とは、本当に壁外人類の人々の命なのか?

もしかしたら、エレンの計画とは我々の想像を超えるものだったという展開はないのか?

検証してみましょう!

◆123話考察!エレンの地鳴らしの意味を検証!

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123話の最後の7ページにて、エレン自身の口から彼の目的が語られます。

それを達成する方法が「地鳴らし」であり、世界中の地を踏み鳴らし、そこにある命をこの世から駆逐すると宣言しています。

この場面、何度読み返しても「来たー!」という気持ちと「やっぱりか…でもやはり違うのでは」という気持ちが半々に起こってきます。

皆さんもそうではないですか?

エレンがパラディ島以外の世界中を全滅させ、いわゆる「終末の日」を迎える展開となる。

そこからパラディ島の人々だけが生き残り、世界再生として終わる…

そんなストーリー展開を妄想してしまいますが、さすがにこの展開は無いのではと、相反する気持ちが沸き起こってきます。

同じようにラグナロク展開が濃い展開を予想しながらも、違う意味を読み取った方々のコメントも確認できます。

sugariさんからは

ちょっとした違和感というか「この島の外にある全ての地表」ってのが気になりますね。ヒィズルにしても単に密約関係を秘してなのかもう不要でそう言ったのか?まあそれは置いても「この島の外」って言いまわしが少しくどいような気もして、何か言葉のままに解釈したら”この島に来い”と言ってる??

「世界を破滅する」という宣言ではなく「島に来い」という意味を持った言葉なのでは、という考察ですね。

たしかに言い回しが少し回りくどく感じますし、違った意味を持っていそうな表現ですよね。

諫山先生はWミーニングを得意としていますし、この受け取り方もありかなと感じます。

もしこの意味があるとするならば「パラディ島は特別な意味を持った場所」という伏線が回収される展開も、あるかもですね。

そしてこの予想の根底には、「やはり地鳴らしから世界全滅展開は無いのでは」という気持ちがあるのでは、と感じられますよ。

A-11さんも「全滅展開」を回避する予想をしていますが、また違った読み方をされています。

「ユミルの民」=「全人類」となると話は変わります。
そうすると、2,000年の時を重ねていれば、地球上の多くの人類は多少なりともユミルの血が入っていて、ユミルの血を憎むことに意味はなくなり、
この考察が当たった瞬間、この作品は某自虐民族の枠を越えることになります。
ユミルの民=自分自身を憎む人間はいないのに、それでもユミルの民絶滅を追求せざるを得ない世界連合。
村上春樹エルサレム受賞スピーチ | 書き起こし.com

「本来なら我々を守るはずのシステムは、時に生命を得て、我々の命を奪い、我々に他人の命を奪わせるのです-冷たく、効率的に、システマティックに。」

エレンが「そこにある命をこの世から駆逐するまで」と宣言した「そこにある命」とは、魂をもった人々の生命ではなく、村上先生のいうところの、魂がないまま生命だけ得てしまった、人にあらざる存在なのかも知れません。

このコメントを読んだ時、目の前が明るくなりました。

みなさんが書き留めてくれたコメントはほぼ全て読ませていただいておりますが、たまにこういう事があります。

自分では全く気付くことができなかった読み方をサラリと書かれているコメントに出会った時、一瞬目の前が明るくなり目が覚めるような感覚に襲われるのです。

A-11さんの

「『そこにある命』とは、魂をもった人々の生命ではなく、村上先生のいうところの、魂がないまま生命だけ得てしまった、人にあらざる存在なのかも知れません。」

という考察は、かなり衝撃でした!

これは思い付かなかったです。

エレンが地鳴らしを起こした目的はパラディ島以外の「人間の全滅」ではなく、ユミルの民を死滅させようとしている「憎しみ」のような存在を根絶する為なのではないか、という考察。

いや、「憎しみ」というよりも「国」でしょうか?

これはA-11さんの視点から得た、あくまで管理人アースの個人的な考察ですが。

さすがに長いので全文は無理ですが、村上春樹先生のエルサレム受賞スピーチを一部抜粋しました。
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もし、硬くて高い壁と、そこに叩きつけられている卵があったなら、私は常に卵の側に立つ。

こう考えてみてください。多かれ少なかれ、我々はみな卵なのです。唯一無二でかけがいのない魂を壊れやすい殻の中に宿した卵なのです。それが私の本質であり、皆さんの本質なのです。そして、大なり小なり、我々はみな、誰もが高くて硬い壁に立ち向かっています。その高い壁の名は、システムです。本来なら我々を守るはずのシステムは、時に生命を得て、我々の命を奪い、我々に他人の命を奪わせるのです-冷たく、効率的に、システマティックに。

我々のうちにははっきりとした、生きている魂があります。システムは魂を持っていません。システムに我々を搾取させてはいけません。システムに生命を任せてはいけません。システムが我々を作ったのではありません。我々がシステムを作ったのです。

村上春樹エルサレム受賞スピーチより引用

我々を守るために我々が作り上げた「システム」が、時に生命を得て我々の命を奪う…

管理人アースには、この「システム」とは「国」を指すのかな、と感じられました。

もっと厳密に言うと「国境」を表しているのかなと。

これを今回のエレンの地鳴らしで「この世から駆逐する」と宣言した「そこにある命」に取り入れると、「国」というシステムを踏み鳴らし駆逐すると言う意味に読み取れました。

これは第46話でユミルが言った「敵は何だ?」の答えである「敵は世界」にもWミーニングとして通じますよね!

さらに「進撃の巨人」編集担当バックさんが、村上春樹先生と諫山先生との共通点を先月のインタビューで語っています。

これらから、村上春樹先生のスピーチを考察に取り入れるのは、あながち間違っていないと感じられますよね!

sugariさん!

A-11さん!

コメントありがとうございます!

みなさんのコメントのおかげで、より深い123話の読み方ができましたよ!

ここまでの考察で、エレンが地鳴らしで踏み鳴らそうとしているのは人ではなく「国」「国境」なのではと考察できました!

管理人アースは今回の村上春樹先生スピーチからの考察をする際にいろいろ調べていたら、「上野千鶴子氏の東大入学式での祝辞」にも出会いました。

この祝辞も、今回の考察と繋がる部分があるように感じましたよ。

ここからは管理人アースの超個人的な読み方になりますが、紹介したいと思います。

◆これまでのエレンとこれからのエレン

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まずは今回の考察で管理人アースが出会った「上野千鶴子氏の東大入学式での祝辞」を一部抜粋しました。

素晴らしいスピーチですので、ぜひ読んでみてください。

あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと…たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。

平成31年度東京大学学部入学式 祝辞より引用

当初、第1巻時のエレンが、まさに環境にも恵まれない、頑張ろうとしても意欲をくじかれる存在でしたよね。

例えばハンネスさん達駐屯兵団に「いつ巨人に襲われるかもしれない」と訴えても笑われ、巨人を倒して外の世界を冒険するという夢を語っても、ジャンには笑われていました。

エレンは力を持っていなく、周りの環境も決して理解ある人が多くいる訳ではありませんでした。

しかし本人の強い目的意識と努力、さらに人との出会いに恵まれエレンは今、「報われた人」となり「硬い強い壁を壊す力を得た存在」となりました。

始祖ユミルにその「意志」を示す事で「血統」の縛りを超え、次に得た力で「国」を踏み鳴らし駆逐するまでの力を得ました。

踏み鳴らした後、エレンはどうするのでしょうか?

コメントでは「エレンは世界の王になる」という予想をしばしば見ますが、実際どうなるのでしょうか?

この上野千鶴子氏の東大入学式での祝辞を取り入れると、「勝ち抜く為にだけ使うのではなく」「恵まれない人々に使う」べきだとなります。

エレン自身が自分の弱さを認め、弱者を弱者として認める展開になるのかなと…

エレンはある意味強いと思います。

当初から決してブレない、意志の強さを持っています。

しかし、それは相手を挫く強さであり、相手を認め許す強さではありません。

他者を潰し殺す強さであり、他者を活かし生かす強さではないのです。

どちらの強さがより強いのかは、一目瞭然ですよね。

エレンも、最終的にはその強さに目覚め、得た力を弱者、より弱い人に使う展開が来るのではないかと予想しますよ。

そうなってエレンは自分の弱さを見つめられ、相手を認められる存在になるのかなと。

さらにそこで初めて「世界は残酷だけど美しい」が、進撃の中でキチンと成立するのではないかなと!

そんな展開を諫山先生は描かれるのではないか、と期待しちゃいます!

ただ、これは予想というよりも、管理人アースの「進撃の巨人」という作品の読み方みたいなものですが。

キャラクタの成長録のようにも読める作品なので、エレンの人間的成長が描かれる展開としてもありそうに感じられますよね!

最後の最後にエレンが弱者に手を伸ばす展開…

それが、例のくせ毛少年に手を差し出す場面だったとか。

いろいろ妄想が広がりますよ!

今回の考察で、エレンが地鳴らしでは人を潰すのではなく「国」を潰し国境を無くし、虐げられていた弱者に手を差し出す場面が登場するのではないか、と予想できました!

むっちゃ期待しちゃいますよ!\(^o^)/

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