キングダムに登場する六大将軍の一人白起(はくき)。
趙で生まれた嬴政がとんでもない趙の恨みを買い暴力を受ける理由として**「長平の戦いによる40万の生き埋め」**が理由だと、8巻にて登場しました。
40万人を生き埋めにした将軍が六大将軍の一人白起なのですが、**いったいどのような将軍だったのでしょうか?**
六大将軍の一人にカウントされる訳ですから、かなりの戦績を上げているはずなのですが、それ以外の詳細は分かっていません。
実際に、**「長平の40万生き埋め」は本当あった史実なのか?**
六大将軍の一人、白起将軍を順番に見て行きましょう!
キングダム白起将軍の基本プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 白起(はくき) |
| 所属 | 秦国 |
| 地位 | 旧六大将軍 筆頭格 |
| 称号 | 武安君(ぶあんくん) |
| 異名 | 人屠(じんと)- 人殺しという意味 |
| 主君 | 昭王(しょうおう) |
| 時代 | 昭王の治世(嬴政より一世代以上前) |
| 初登場 | 8巻75話(長平の戦いの回想シーン) |
白起将軍は死亡している?生存状況について

白起将軍は**物語開始時点ですでに故人**となっています。
紀元前257年、昭王の命により自害しています。
長平の戦い後、邯鄲(かんたん)攻略をめぐって昭王と対立し、病と称して出陣を拒否し続けたことが原因でした。
最期の際、白起は自問自答したとされています。
「自分に何の罪があるのか」と。
そして自ら答えを出します。
長平の戦いで降伏した40万の兵を一夜にして生き埋めにしたこと、これが罪にならないはずがないと悟り、自害を受け入れたのです。
**作中では回想シーンでのみ登場**し、現在時制での再登場はありません。
ただし、六大将軍時代を描く過去編や外伝的な展開があれば、生きていた頃の白起が描かれる可能性は残されています。
白起将軍の性格と人物像
冷徹無比な合理主義者
白起は徹底した合理主義者として描かれています。
「長平の戦い」で投降した趙兵40万人を生き埋めにしたエピソードが象徴的です。
これは単なる残虐性というより、食糧不足による反乱のリスクを排除するための冷徹な計算に基づいた行動でした。
戦において負けを知らず、地形や心理を完全に掌握して戦うスタイルを貫きました。
感情を表に出さない寡黙なタイプ
同時代の名将(廉頗・王騎など)と比べても、感情の起伏や豪放さではなく、粛然とした威圧感・不気味さで語られることが多い人物です。
作中では「ギョロリとした大きな目」という異様な風貌で描かれており、言葉数も少なく不気味な存在感を放っています。
狂気と理性が同居した存在
同じく残虐性を持つ桓騎が激情型のアウトロー寄りで描かれるのに対し、白起は制度側・国家側の論理で大量虐殺を行った象徴として対比されています。
単なる殺戮者ではなく、秦国による中華統一を誰よりも早く、明確に見据えていた「統一主義者」でもありました。
楚の歴代王の墓(王陵)を焼き払った行為は、敵国の精神的支柱を破壊し、国としての祭祀を断つことで「楚という存在そのもの」を消し去ろうとする戦略でした。
白起将軍の強さと戦闘能力
六大将軍最強の評価
旧六大将軍の中で「筆頭」を務め、名実ともに最強の武将とされています。
公式ガイドや考察サイトでは、「六大将軍の中でも別格」「秦軍最強の大将軍」として扱われることが多い存在です。
趙の「三大天」廉頗(れんぱ)とも渡り合い、彼に守勢を強要させるほどの圧力を誇りました。
殲滅戦のスペシャリスト
敵を徹底的に殺戮し、再起不能にする戦い方を得意としました。
史実においても、以下のような驚異的な戦果を上げています。
– 紀元前293年 伊闕の戦い:24万人斬首
– 紀元前273年 華陽の戦い:15万人斬首
– 紀元前260年 長平の戦い:45万人捕殺
生涯で100万人近くを葬ったとされ、その規模は桓騎をも上回ります。
戦略レベルの怪物
単なる武勇よりも、戦略・作戦立案・兵站・心理戦を含めた総合力で他将を圧倒していました。
李牧や王翦クラスと並ぶ、あるいはそれ以上と評価されることが多い存在です。
敵主力を包囲し、講和ではなく殲滅によって戦争そのものを終わらせるスタイルを確立していました。
情報戦と心理戦の達人
長平戦では、趙の総大将交代(廉頗→趙括)のタイミングを看破し、その未熟さを利用して罠に嵌めています。
降伏兵40万の処刑も、趙の継戦能力と将来の反乱リスクを断つという恐怖の軍事的判断として機能し、敵国内に長期的な心理的打撃を与えました。
同じ六将の王騎が豪胆な大攻勢・奇襲を得意としたのに対し、白起は「勝てる戦しかやらない」王翦タイプに近い、石橋を叩いて渡る慎重派だったとされています。
白起将軍の主要な人間関係
昭王(しょうおう)
絶対的な忠誠を誓った主君であり、白起を「六大将軍」の筆頭に据えた人物です。
白起を含む六大将軍を任命し、「西帝」と呼ばれた秦の威名を築いた主従関係として語られています。
しかし、晩年は意見の対立から関係が破綻し、自害を命じるに至りました。
王騎(おうき)
同僚であり、共に中華を荒らし回った戦友です。
王騎は白起の実力を深く認めていました。
長平の戦い当時、王騎は白起の副将を務めていたとされ、実績や当時の序列においては白起が明確に「上」でした。
王騎ですら白起の盤面の上で動く駒の一つに過ぎなかった時期があることは、白起の規格外さを物語っています。
白起の自害後は現場を離れるなど、その死は王騎の人生にも影響を与えました。
廉頗(れんぱ)
好敵手として知られています。
長平の戦いでは、廉頗が守りを固めている間は白起も攻めあぐねていました。
しかし、趙軍の指揮官が趙括に代わった瞬間に白起が牙を剥きました。
廉頗は白起の死を知って涙したという逸話が残っています。
桓騎(かんき)
新六大将軍の一人です。
捕虜の虐殺(平陽の戦いでの10万人斬首)を行ったことで、作中でも「白起の再来」として比較されることがあります。
しかし、桓騎が感情や怒りを原動力にするのに対し、白起はあくまで「国益とリスク管理」のために虐殺を行った点が対照的です。
嬴政・信たち現世代
直接の面識はありませんが、嬴政にとって白起の所業は「恐怖政治・力による統一」の象徴でもあります。
信にとっては「力を極めた結果生まれた暗い歴史」として語られる存在です。
政が「過去の秦の在り方」を反省的に語るとき、必ず長平・白起の名が背景にあります。
白起将軍の戦歴年表
| 年代 | 出来事 | 詳細 |
|---|---|---|
| 紀元前293年 | 伊闕の戦い | 韓・魏連合軍を撃破し、24万人を斬首。白起が将軍として名を上げる初期の戦い |
| 紀元前292年 | 魏への連続遠征 | 弱体化した魏を攻め、60を超える城を落とす |
| 紀元前278年 | 楚の首都・郢攻略 | 大国・楚の首都郢(えい)を陥落させ、楚の遷都を余儀なくさせる。楚の歴代王の墓を焼き払う |
| 紀元前273年 | 華陽の戦い | 趙・魏・韓の三国連合軍に勝利し、10万を超える兵を斬首。同年、趙将賈偃との戦いで2万を黄河に沈める |
| 紀元前264年 | 陘城の戦い | 5万を斬首 |
| 紀元前262年 | 長平の戦い開始 | 韓の上党をめぐり、秦は白起、趙は廉頗を総大将として長平で激突 |
| 紀元前260年 | 長平の戦い決着 | 趙王が総大将を趙括に変更。趙括を討ち取り勝利。捕虜40万人を生き埋めにする(史実では20万人とも) |
| 紀元前259年 | 邯鄲攻略の拒否 | 病と称して出陣を拒否。秦王と対立が深まる |
| 紀元前257年 | 自害 | 昭王の命により杜郵(とゆう)にて自害 |
キングダム白起将軍と「長平の生き埋め」は史実なのか?

白起将軍は、史実に登場する人物なのか?
白起将軍は、**史実に登場する人物で実際にいた将軍です。**
韓・魏・楚・趙と戦い、数十の城を落としている名将となっています。
六大将軍というのは「キングダム」のオリジナル設定ですが、実際にあったとしても選ばれていると思われる程の実績を上げています。
しかしいっぽうで、毎回かなりの兵を斬首しています。
そして「キングダム」にて登場している**「長平の40万の生き埋め」も史実として記録されています。**
ただ数が**40万ではなく「20万人」**となっており、実際は「長平の20万の生き埋め」ということになりそうです。
…どちらにしてもとんでもない所業であることは間違いありませんが。
ここまでで、**白起将軍と長平の生き埋めが史実であることが分かりました。**
この長平の虐殺は、これまで「嬴政の幼少期」と「万極将軍誕生エピソード」として登場し、その後はあまり触れられていません。
今後はもう、登場しないのでしょうか?
アースはもしかしたら、「桓齮の怒り」に関係しているのではないか、とイメージしています。
白起将軍の名場面・印象的なシーン
長平の戦いの回想(8巻75話)
秦趙の確執を説明する際、ナレーションとともに「白起が趙兵40万を生き埋めにした」場面が描かれます。
土砂が崩れ落ちていくイメージとともに、魏・趙・楚など他国視点からも「秦は狂った国」と語られる印象的なシーンです。
白起の名が一気に”怪物”として読者に刻まれる瞬間でした。
万極将軍のエピソード(27巻)
万極将軍は、長平生き埋めからの生還者でした。
自らが掘った穴に父親と共に放り込まれる万極。
そこで秦の六大将軍の一人・白起将軍から**「やれ」**と指示があり、秦兵達が上から土砂をかけて生き埋めにしてしまいます。
それは本当に酷い仕打ちであり、とんでもなく残酷な描写でした。
万極将軍のような、秦で女・子供関係なく虐殺する武将が生まれてもしょうがないだろうと思える描写でした。
白起が少年兵240人だけは若いという理由で助命したことで、万極は生き延びることができましたが、その体験は彼の人生を完全に変えてしまいました。
王騎が語る六大将軍時代
王騎が信に六大将軍について語る際、「白起を筆頭とした六将がいた昭王時代」の圧倒的な武威が回想されます。
廉頗サイドの回想では、かつて白起と渡り合った趙軍の栄光と、それが長平で打ち砕かれた歴史が暗ににおわされています。
李牧・政による歴史認識の対比
李牧は長平を「白起という怪物による大虐殺」と見つつ、同時に”秦がそれをやるだけの軍事力・政治力を持っていた事実”として冷静に評価しています。
政は長平を反面教師とし、「恐怖と虐殺ではなく、法と秩序による統一」を掲げます。
その対比の中で、白起は”過去の秦の象徴”として機能しています。
白起将軍の物語上の役割と立ち位置
「力で押し潰す秦」の象徴
白起は、昭王時代の秦が”純粋な軍事力と恐怖”で覇権を握った象徴として描かれています。
その極致が長平の虐殺であり、合従軍編・鄴攻略編などの”国家総力戦”を描くとき、常に背景として白起の時代が意識されています。
政の掲げる「新しい秦」との対比
嬴政は「二度と長平のようなことを繰り返さない中華統一」を理想として掲げています。
その意味で、白起は「過去の成功であり、同時に絶対に超えてはならない一線」の象徴になっています。
桓騎の虐殺(扈輒軍数万を斬首)や黒羊丘での虐殺が語られる際、読者は否応なく白起の長平を想起させられ、秦が再び”白起型の暴力”へ傾きつつある危うさを感じる構図になっています。
77巻付近で描かれる「韓攻略編」において、騰(とう)が南陽を無血開城させ、現地の民を虐殺せずに「秦市民」として受け入れる方針を示しました。
これは、かつて白起が行った「占領地での虐殺・生き埋め」とは真逆のアプローチであり、昭王が晩年に王騎へ遺した「奪った地の民は奴隷にあらず」という意志を継ぐ行動として対比的に描かれています。
「狂気なき怪物たち」との比較材料
王翦・李牧・昌平君など、「冷静な軍略家」タイプと白起はしばしば比較されます。
王翦は「勝てる戦しかしない」、李牧は「国を守るために最適解を選ぶ」、一方で白起は「合理の果てに虐殺に行き着いた」。
その違いを浮かび上がらせることで、作品は”勝利とは何か/統一とは何か”というテーマを掘り下げています。
白起の独断専行(虐殺や出陣拒否)は「戦争の自由」を与えられた六将制度の負の側面(暴走)の象徴でもあり、現在の秦国が目指す「法治国家」としての統一とは相容れない存在として、回顧されることがあります。
白起将軍のアニメ声優情報
アニメでの登場状況
TVアニメ『キングダム』第1〜第6シリーズまでの範囲では、白起は回想・ナレーションで名前と業績が語られるのみです。
本格的に画面に出て台詞を話すシーンはまだありません。
声優について
2025年時点で、白起の担当声優名は公式には発表されていません。
主要キャラクターのキャスト一覧にも白起の名は記載されておらず、未配役の状態となっています。
そのため、白起の肉声・演技はまだメディア上に登場していません。
ゲーム作品等では小山力也さんなどが担当するケースがありますが、アニメ本編での明確な配役は確認されていません。
キングダム白起将軍の「長平の生き埋め」は桓齮の怒りと関係するのか?

桓齮には「怒り」「渇き」と表現される「何か」があり、そこに虐殺を平気で行える原因があるように考えられます。
この辺りは**桓齮の「渇き」の真相を検証!**にて考察していますので、見てみてください!
「桓齮の怒り・渇き」には、やはり虐殺が関係しているようにイメージできます。
例えば、家族が長平の生き埋めで虐殺されているとか。
しかしそのまま被害者という展開だったら、**万極将軍と同じ**になってしまいます。
そこからもしかしたら、桓齮は生き埋めを行った側と関係があったのではないか、とイメージしました。
白起将軍の命令とはいえ、埋める側の人も心が壊れてしまうようにも感じますよね。
そんな埋める側の人物に、桓齮の父親がいたとかは無いでしょうか?
生き埋めにより心が壊れた将の息子とし生きた桓齮。
心を壊した父を見て兵士になることを辞めて盗賊として生きる事を決めた、とか。
ちょっと厳しいかもですが、**やはり桓齮の渇きには「戦」が関係ありさらに「虐殺」が関係あるように感じますよ!**
となると、長平の生き埋めにも絡んでくるかもですね。
白起将軍に関するよくある質問(FAQ)
Q1: 白起は実在の人物ですか?
はい、白起は史実に実在した秦の将軍です。
史記などの歴史書に記録されており、長平の戦いをはじめ数々の戦いで功績を上げた名将として知られています。
Q2: 長平の戦いで本当に40万人を生き埋めにしたのですか?
史実では「20万人」とされることが多いですが、『キングダム』では「40万人」として描かれています。
いずれにしても、史上まれに見る大虐殺であったことは間違いありません。
ただし、少年兵240人だけは若いという理由で助命されています。
Q3: 白起は六大将軍の中で最強ですか?
作中では六大将軍の「筆頭格」として位置づけられており、王騎や摎といった他の六大将軍たちと共に活躍しましたが、その中でも特に別格の存在として扱われています。
史実でも秦の歴史上屈指の名将とされています。
Q4: 白起はなぜ自害したのですか?
長平の戦い後、邯鄲攻略をめぐって昭王と対立し、病と称して出陣を拒否し続けたことが原因です。
紀元前257年、昭王の命により自害を命じられました。
死に際、白起は長平で40万の兵を生き埋れにしたことが罪だと自覚し、自害を受け入れたとされています。
Q5: 白起と桓騎の違いは何ですか?
桓騎が感情や怒りを原動力にして虐殺を行うのに対し、白起はあくまで「国益とリスク管理」のために冷徹な判断として虐殺を行った点が大きく異なります。
桓騎は激情型のアウトロー、白起は制度側・国家側の論理で動く合理主義者という対比があります。
Q6: 白起は今後の物語に登場しますか?
物語開始時点ですでに故人のため、現在時制での登場はありません。
ただし、六大将軍時代を描く過去編や外伝があれば、回想シーンとして登場する可能性はあります。
Q7: 武安君という称号の意味は?
「武安君」は白起の功績の大きさを示す称号で、秦と趙の両国において最高クラスの将軍に与えられる栄誉ある称号です。
趙の李牧も同じ「武安君」の称号を持っています。
Q8: 白起の戦歴で最も有名な戦いは?
紀元前260年の「長平の戦い」が最も有名です。
この戦いで趙軍を完膚なきまでに打ち破り、降伏した趙兵40万人を生き埋めにするという史上まれに見る大虐殺を行いました。
この出来事は趙国に深い恨みを残し、秦趙関係に決定的な影響を与えました。
まとめ:白起将軍の遺産と物語への影響
今回は、六大将軍「白起」と「長平の生き埋め」を見てきました。
白起は物語開始時点ですでに故人となっていますが、その存在感と残した爪痕は現在の物語にも色濃く影を落としています。
**そこに桓齮の「怒り」も関わってくるのか?**
今後の桓齮にも要チェックですよ!\(^o^)/
白起という存在は、単なる過去の将軍ではなく、以下のような多層的な意味を持っています。
– 趙が秦を憎悪する最大の歴史的理由
– 政の掲げる新しい王道の対極にある「力による統一」の象徴
– 桓騎や王翦の評価を測る物差し
– 六大将軍制度の光と影を体現する存在
白起が生きていれば、嬴政の時代に中華統一は容易になし得たかもしれないとされるほど、その存在感は圧倒的でした。
しかし同時に、その極端な手段は秦国内でも両刃の剣となり、最終的には自らの命を絶つ結果となりました。
物語が進むにつれ、白起の遺産がどのように現代の戦いに影響を与えていくのか、今後も注目していきたいところです。






