「キングダム」の中でも安定かつ安心キャラである昌文君(しょうぶんくん)。
嬴政の忠臣であり信を頭からたしなめる事ができる数少ないキャラ昌文君とは、いったいどのような人物なのでしょうか?
王騎とは、結局どういう関係なの?
昌文君が死亡する展開って、決まってるの?
というか、史実のキャラなの?
さらに声優、俳優さんキャスト紹介も!
「キングダム」昌文君の、これまでとこれからを見て行きましょう!
昌文君(しょうぶんくん)プロフィール
| 項目 | 内容 |
| 名前 | 昌文君(しょうぶんくん)※本名は不明。昌文君は爵位名 |
| 所属 | 秦国 |
| 身分 | 左丞相(元は武将) |
| 年齢 | 不詳(初登場時から壮年、現在はかなりの高齢) |
| 武器 | 剣、矛 |
| 性格 | 堅実、義理堅い、忠義深い、苦労人 |
| 特徴 | 王騎と共に戦場を駆けた猛者。文武両道の古強者 |
| 初登場 | 第1話(信と漂の剣試合の場に現れる) |
昌文君とは秦王嬴政の第一の忠臣であり、現在は左丞相という文官に着いていますが元は武将でした。
文でも武でも嬴政を支える最大の忠臣と言えるでしょう。
その経歴のためか、「キングダム」ではかなり年輩なキャラとして登場しています。
「キングダム」の昌文君は、第1話から登場しておりそこで信と漂(ひょう)と出会っています。
漂を嬴政の影武者にしたためその死に大きく関わっていたため、信からは当初不信感を抱かれます。
しかし山の民の王 楊端和へ協力を頼む場面で信へ嬴政の警護を頼む際に信の実力を認め漂の死について謝り、信とのわだかまりを消しています。
何気ない場面ですが、ここに昌文君の人柄が出ていると感じますよね。
嬴政の忠臣であることは間違いないですし、昌文君のポジションはそれです。
ただ昌文君という人物にはそれだけではなく、人の信頼を得る力があります。
信、壁、王騎、李斯らが昌文君と関わり動いたのは、昌文君のその人柄によるためとも考えられます。
昌文君とは、人の心を動かす器の大きな将としても評価できるのではないでしょうか?
シブい味のあるオジサンであり、早くから主人公信の才を見抜き信頼を得ている昌文君は、嬴政の為に動く器の大きな「将軍」とも言えるのでは、と感じられます。
昌文君は死亡?それとも生存?【最新情報】
**77巻・856話時点で昌文君は生存しています。**
物語開始当初から死亡フラグのような危機的状況に何度も直面していますが、数々の修羅場を乗り越え、現在も秦国の左丞相として嬴政を支え続けています。
直近の主な動きとしては、呂不韋失脚後も左丞相として政を補佐し続けています。
特に番吾の大敗後、昌平君提案の「三本の柱」策のうち、第1の柱「全国戸籍作り」「強制徴兵制」の執行責任者の一人として文官全体を統率しました。
この激務で李斯とともに倒れ込む描写がありつつも、職務を完遂しています。
老体に鞭打ってなお「中華統一」のために前に出続ける姿が印象的に描かれていますよ。
史実の昌文君(しょうぶんくん)とは
昌文君は、史実に登場する人物であり史料にも登場しています。
紀元前238年の嫪毐は、「キングダム」37巻の「嫪毐の乱」ですよね。
キングダムでは既に左丞相になっている昌文君ですが、史実ですとこの乱を鎮圧した事により昇格したようです。
さらに「昌文君に封じられ」とあるので、この時に昌文君という名前にもなっているようですね!
昌平君もそうですが、〇〇君というのはニックネームであり敬称です。
つまり、本名ではありません。
「キングダム」では登場時から昌文君でしたが、史実では「嫪毐の乱」を鎮めて左丞相になり昌文君になっていた事が分かります。
そして史実では、紀元前226年に亡くなっているようです。
ここから昌文君が死亡する展開は、作中でも登場しそうですよね。
さらに見て行きましょう!
史実における昌文君の出自と楚との関係
史実の研究や考察において、昌文君は相棒である昌平君と同様に「楚の公子(王族)」であり、人質として秦に来ていたのではないかという説があります。
史実の昌文君と昌平君は、甥とおじの関係だと記されています。
また、史実の昌平君と昌文君は楚王の血統だったとされていますが、キングダムでは昌文君について楚王の血筋という設定にはなっていません。
紀元前226年に昌文君は某山(黔中)に移りそこで死んだとされます。
この某山とは、かつて楚が黔中郡や且蘭郡を設置した場所で、後に秦の黔中郡になった土地です。
老齢になった昌文君が、何故こんな辺鄙な土地へ移ったのかについては、祖国に帰りたいという気持ちからではないかと推測されています。
秦が楚を攻めるようだと知った昌文君は、心配でたまらず秦王政へ楚への帰還を願ったものの相国の重職を務めた人間である為に許されず、それならばせめて楚に近い土地への移動を願い、辿りついた黔中で病死したのではないかという説があります。
昌文君(しょうぶんくん)死亡展開を予想!
| 年号 | 内容 |
| 紀元前236年 | 王翦が楊端和、桓騎を従え「鄴」を攻め落とす |
| 235年 | 呂不韋服毒自殺・趙王悼襄王死亡 |
| 234年 | 平陽の戦い:桓齮VS扈輒で桓齮勝利。扈輒が討ち取られる。 |
| 233年 | 肥下の戦い:李牧VS桓齮 桓齮敗れ死亡? |
| 230年 | 騰将軍により、韓滅亡 |
| 229年 | 趙の李牧死亡 |
| 228年 | 趙滅亡 |
| 226年 | 燕の首都陥落 昌文君死亡 |
| 225年 | 魏滅亡 |
紀元前226年とは、趙が滅んだ2年後で魏が滅ぶ一年前となっています。
ここは「キングダム」でも間違いなく登場する年代ですし、踏襲しそうですよね!
史実では「平輿にて死去した」とありますが、作品内ではどのように描かれるのか?
史実では戦死ではなく、老衰か病死と考えられています。
何となくですがキングダムでは咸陽で嬴政に看取られるようにも感じられるのですが…
タイミングとしては、病床に伏し、信と嬴政に看取られ亡くなるようなシーンが想像されますが、どのように描かれるかは今後の展開次第です。
間違いなく要チェックな場面ですよね!
見逃さないように、追いかけなきゃ続けなきゃですよ!\(^o^)/
昌文君の性格と人物像
基本性格
昌文君の最大の特徴は、その「堅実さ」と「深い忠義」です。
派手さや奇抜な策を弄することは少ないですが、王のためなら泥をかぶることも厭わない姿勢は、周囲から厚い信頼を得ています。
特に嬴政に対しては、幼少期からその身を案じ、時には親代わりのような温かさと厳しさで接してきました。
また、武人出身であるため、文官となった後も気骨があり、有事の際には自ら剣を取って戦う熱い魂を持っています。
極めて堅実・実直で、感情的になりやすい場面はあるが判断は常に王と国優先です。
義理堅く、昭王・嬴政への忠義を貫くタイプで、裏切りや日和見と無縁のキャラクターです。
「無骨な賢人」と王騎から評される通り、理屈より実務と現場感覚を重んじる人物と言えるでしょう。
長所
忠誠心と責任感が突出しており、敵対陣営に回ってもなお「筋は通す」振る舞いを見せます。
若い武将・平民出身の信などに対しても身分差で驕らず、人を見て評価する包容力があります。
自身が無力だったことを悔やみ、武官から文官へ転じて「丞相を目指す」と誓う向上心も持ち合わせています。
裏表がなく、真っ直ぐに嬴政を支え続ける姿が特徴です。
頑固で涙もろく、主君への忠誠心は絶対的なものがあります。
人望があり、主人公・信(しん)を始め、壁(へき)や王騎・李斯(りし)達から厚い信頼を得ています。
個人としての力は決して大きくはありませんが、周りの人々の心を打ち、敵ですら味方にするところが昌文君の魅力であり、力であると言えるでしょう。
短所・人間味
政や信に関わる件では感情が先走り、怒号を発するシーンも多くあります。
呂不韋陣営との権力闘争では、時に押し負けてしまう政治力の限界も描かれています。
昌文君の強さ・能力
武将としての強さ
昌文君は元々が武将であったという経歴を持っています。
昭王の時代から最前線で戦ってきた生粋の武人であり、かつては伝説の六大将軍・王騎(おうき)と共に戦場を駆け回った戦友でした。
若い頃は王騎・摎らと共に戦場に立ち、六大将軍と肩を並べて戦を経験しています。
王騎からは「無骨な賢人は信頼できる」と評価されており、その武勇と人格の両面で高い評価を得ていました。
物語本編時点では既に前線を退き、直接戦闘シーンは少ないですが、山の民や竭軍の中でも怯まず指揮を執る胆力を維持しています。
昭王時代から最前線で戦って来た生粋の武人であることから、一定の武力は持っていると考えられます。
高齢になった現在でも、一般兵を蹴散らす程度の実力は健在です。
文官としての能力
しかし王都奪還後に文官として左丞相に就任し、現在は政治面から嬴政を支えています。
血のにじむような努力で法や行政を学び、最高位である「左丞相」にまで登り詰めました。
呂不韋との政争においては、劣勢な状況下でも粘り強く派閥を維持し、逆転の芽を守り抜いた手腕は高く評価されます。
軍略家というより「現場感覚に優れた現実派」で、大局戦略は昌平君らに任せ、自身は兵站・人事・政争で実務を回すタイプです。
秦王派を一から組み上げ、呂不韋に対抗できる規模にまで育て上げた政治力があります。
左丞相就任後は、対外戦略は昌平君、内政・制度面は李斯と分担しつつ、全体統括役を果たしています。
指揮能力
合従軍編の蕞(さい)防衛戦では、民兵を含む急造の軍を見事に指揮し、李牧軍の猛攻を防ぎ切る一因となりました。
豊富な戦の経験を活かして助言を行う立場にあり、個人としての力は決して大きくはありませんが、人望と経験が彼の最大の武器です。
昌文君の主要な関係性
嬴政(えいせい)との関係
現在の主君である嬴政は、昌文君にとって少年期からの「育ての親」に近いポジションです。
政が心から信頼を寄せる相手の一人であり、王都奪還の際には命懸けで政を逃がし、以降は王直属派閥を組織して彼を政治的にも支えています。
加冠の儀〜咸陽攻防戦でも、政の覚悟を信じて最後まで側に立ちました。
嬴政政権の安定に欠かせない存在として、最初期から嬴政を支え続け、信の成長も見守ってきた昌文君は、物語における重要な証人であり、嬴政が中華統一を成し遂げる過程で欠かせない人物です。
政に忠誠を誓う秦国の現左丞相として、文・武の両方から嬴政を守り支え続ける昌文君の姿は、キングダムにおける渋くも魅力的なキャラクターの一人として、多くのファンに愛されています。
信(しん)との関係
昌文君は、下僕時代の信を知っている数少ない人物です。
初対面は、信と漂の剣試合を見て「漂」を見出した場面でした。
昌文君は偶然、山中で剣技の特訓をしていた信と漂(ひょう)と出会いました。
二人が天下の大将軍になるべく、激しい仕合を1253戦も繰り広げてきた事を知り驚きますが、それ以上に漂が嬴政と酷似している事に気づきます。
翌日、昌文君は二人を下僕として使っている長の家に訪れ、漂を「王宮に仕えよ」と言い連れて行きました。
大将軍を目指していた漂もこれをチャンスとして受け入れましたが、昌文君が必要としていたのは漂のみであったため、信は一人下僕として残されることとなりました。
漂を王宮に引き抜いた張本人であり、その選択が信の運命を大きく変える引き金になっています。
以後は、下僕上がりの若武者である信を「政の剣」として高く評価し、時に厳しく、時に父親のように見守る立場です。
初期の信を知っており、事あるごとに諫め教育し、口には出さないですが、信の器量を認めてもいました。
嬴政の最大の忠臣であり、主人公・信の理解者である昌文君は、信にとっても重要な存在となっています。
漂(ひょう)との関係
信と共に剣を振るう孤児の少年を見て、その資質から漂を王宮へと引き立てた人物が昌文君です。
後に漂は自分が影武者として抜擢された事を知りますが、それでも快く嬴政に仕え、時には一緒に育った信の話を嬴政にしており、「私が倒れた時は信におつかまり下さい。あいつはきっと誰よりも高く翔ぶ」と進言していました。
昌文君は「万が一のための影武者だ、心配はするな」と説明していましたが、成蟜の反乱により、その万が一が現実となり、漂の命は奪われてしまいます。
漂には王宮での影武者任務という過酷な役を与えることになり、結果として漂は死亡しました。
昌文君自身もその「重さ」を理解しており、以後の行動原理の一部になっています。
王騎(おうき)との関係
昌文君と王騎は、同じ戦場を駆け回る戦友でした。
昭王に仕えていた頃からの戦友であり、互いに戦場で肩を並べた仲です。
16巻では、若き日の昌文君と王騎のエピソードが登場しており、当初は派手な王騎を毛嫌いしていた昌文君ですが、その実力は認めざるを得ませんでした。
王騎は昌文君に、昭王の御子であり六大将軍の一人となる摎(きょう)を託し、「あなたが側にいれば安心できます」「無骨な賢人は信頼できるというわけです」と評価しました。
王騎からは「無骨な賢人」と評価され、武人としても人間としても信頼されていました。
この時は一武将であり文官ではなかった昌文君ですが、王騎は「賢人」と言っています。
この時代から昌文君を文官向きと見抜き、さらに「信頼できる人物」と心から昌文君を信頼できると評したのでしょう。
武将としては王騎の方が圧倒的に上でしたが、二人は信頼し合っている長年の親友関係であり、王騎が昌文君を救うために偽の首を用意したエピソードは、その深い絆を物語っています。
王騎死後は、その遺志を継いで政を支える「昭王譲りの古参」としての重みを背負っています。
昌平君(しょうへいくん)との関係
37巻で、昌文君は嫪毐の反乱を昌平君と共に鎮圧し、呂不韋を失脚させました。
史実でも同じで、これにより相国(しょうこく)だった呂不韋は罷免されています。
政陣営の「軍事頭脳」である昌平君と、文官トップの昌文君という関係です。
加冠の儀における連携、咸陽攻防戦での共闘、「三本の柱」策の執行などで、常に二人三脚で政を支えています。
かつては敵対する呂不韋陣営にいましたが、現在は中華統一に向けた「法」や「軍略」の両輪として協力体制にあります。
その他の重要な関係性
**呂不韋:** 王弟成蟜と対立する前後(信と漂の剣試合の場に現れる)竭氏失脚後は、呂不韋陣営に対抗する「秦王派」を率いる立場として長年対立しました。直接の陰謀対決は昌平君・李斯が主に担いましたが、朝廷内の票集め・実務レベルの対抗は昌文君が担っていました。
**成蟜:** 王弟成蟜の反乱では、敵側に与した竭氏と対立しつつも、成蟜本人の器や変化も間近で見てきた立場です。成蟜が最期に「政を頼む」と信に託す流れの背景で、王家内の複雑な関係を長年見守ってきた調停役でもあります。
**肆氏:** もとは竭氏陣営の参謀だった肆氏を、王都奪還後に「有能さ」を評価して政側に引き込んだ一人です。肆氏は政の有能さを早くから見抜いており、昌文君とは「旧敵ながら思想が通じる文官同士」として協働する場面が多くあります。
**李斯:** 合従軍戦・鄴攻めを経たのち、政が斉王・王建王との会談で事実上の斉の降伏を引き出した翌年、幽閉状態にあった李斯を咸陽に呼び戻し政陣営に復帰させたのは昌文君です。これにより、以後の法治国家構想や「三本の柱」策の実行に不可欠なブレーン(李斯)を、昌平君と並ぶ中枢に再配置する役割も担っています。
**壁(へき):** 昌文君の部下として同行していた壁は、名門出身で誠実で実直な性格を持つ人物です。王弟・成キョウの反乱で、王宮から脱出した秦王・政と出会った信に、政の影武者として死んだ漂の最後を伝えたのが、昌文君の部下として同行していた壁でした。昌文君が文官の道に進むことから、壁自身は武官の頂点である大将軍を目指すことを決意します。その後の壁は、幾つもの戦争に参加して、実際に将軍にまで成り上がりました。
**楊端和:** 昭王の代から山の民との因縁を知っており、政の山の民への同盟工作にも深く関わっています。蕞攻防戦では、山の民到着を見越した持久戦を政と共に支えた側でもあります。
昌文君の戦歴・年表
| 時期 | 出来事 |
| 昭王時代 | 王騎・摎らと共に、秦六大将軍配下として前線で数多くの戦に参加。昭王に心酔し、「戦神」昭王の時代を支えた古参武人の一人 |
| 紀元前253年 | 王騎、摎(きょう)と共に趙の馬陽を攻める。この時、龐煖(ほうけん)と遭遇し、摎の死と王騎の怒りを目の当たりにする |
| 紀元前251年 | 趙を脱出した嬴政を助けるため、騎馬隊を率いて国境付近まで出迎えに行く。この際の判断力が、後の嬴政の秦王即位に繋がった |
| 嬴政幼少期 | 邯鄲から脱出した政の秦帰還後、その才能を見込んで支え始める。朅氏・呂不韋が実権を握る中で、若き王を守る数少ない重臣となる |
| 王都奪還編 | 竭氏・成蟜のクーデターを察知し、漂を政の影武者に抜擢して王を黒卑村に逃す。山の民を咸陽に招き入れるための交渉・調整に深く関与し、王都奪還の立役者となる。戦後、自らの無力を恥じて「文官の極みである丞相を目指す」と決意し、武官から完全に政務へ転身 |
| 秦王派結成 | 王都奪還後、政直属の「秦王派」を立ち上げ、その長として人材と票を集める。呂不韋が相国へ昇格した後も、成蟜派と手を組むなどして左丞相の座を勝ち取る |
| 治水工事 | 王宮を奪還し、嬴政が大王として即位した後、秦国内で難題だった治水工事を成功させるなど、地道に成果を上げ勢力を増強し、左丞相の位に就く |
| 馬陽防衛戦 | 趙国軍が秦国・馬央(ばおう)に10万の兵を率いて侵攻してきた際、蒙武を総大将にすることに反対意見を述べる。昌平君が「昌文君は昭王のとき長きに渡り最前線で弓矛を振るった生粋の武人だ」と昌文君の意見を聞くよう制し、最終的に王騎が総大将として任命される。王騎の最期を看取る |
| 山陽攻略戦後 | 論功行賞を取り仕切り、呂不韋との政争を続ける |
| 合従軍編 | 函谷関の戦いにおいて、蕞(さい)での防衛戦に参加。嬴政と共に兵を鼓舞し、城壁を死守する。趙・楚・魏・韓・燕・斉の連合軍「合従軍」が攻め入ってきた時、秦の中枢の文官たちは焦りから思考停止に陥ったが、対応策を講じようとしていたのは右丞相昌平君と昌文君のみだった |
| 成蟜の乱 | 屯留での反乱鎮圧や著雍攻略の政治的バックアップを行う |
| 毐国の反乱 | 呂不韋の失脚を決定づけた戦い。咸陽での防衛指揮を執り、反乱鎮圧に貢献。左丞相としての地位を盤石にする。昌平君と共に嫪毐の反乱を鎮圧し、呂不韋を失脚させる |
| 黒羊丘〜鄴攻略戦 | 最前線の兵站維持や、李斯らとの法整備、列国との外交(斉王との会談など)に奔走 |
| 六大将軍復活 | 嬴政と共に新・六大将軍の復活を宣言 |
| 桓騎の処遇問題 | 扈輒軍虐殺の報を受け、嬴政と共に前線へ急行。桓騎の暴挙に激怒する。無礼な態度で机の上に脚を投げ出して座る桓騎に対し、昌文君は顔中の血管を浮き立たせ、馬上から見下ろし威嚇する |
| 番吾の戦い以降 | 李牧の策謀による敗戦を受け、国力回復と新たな徴兵システム(戸籍作り)の構築に、李斯らと共に不眠不休で取り組む。「三本の柱」策のうち、第1の柱「全国戸籍作り」「強制徴兵制」の執行責任者の一人として文官全体を統率。極度の過重労働で李斯と共に倒れ込む描写があり、肉体的限界を超えて国策を進めたことが強調される |
昌文君(しょうぶんくん)の首エピソードを検証!

1巻から展開した「成蟜の反乱編」で、一度昌文君の首が登場したのを覚えているでしょうか?
王騎が成蟜側に昌文君の首を差し出す展開なのですが、もちろん偽物であり傷だらけで本人とも分からない、という感じでした。
これは王騎が昌文君を助ける為に行った事であり、さらに昌文君の領地も自分が貰い受け家族、領民を救うという事も実行しています。
物語序盤、王騎が昌文君を討ち取ったと見せかけ、実は彼の領地と家族を保護するために「ニセの首」を差し出したエピソードです。
これにより昌文君とその一族は成蟜派の粛清から逃れることができました。
なぜここまで王騎が昌文君の為に動いたのかは、現在まで明らかになっている二人を関係を見れば分かりますよね。
武将時代から共に戦場を駆け回っていた二人は、間違いなく信頼しあっていました。
特に王騎が昌文君を「無骨な賢人」と評価してるところからも分かりますし、王騎の婚約者だった摎(きょう)の秘密を打ち明けていた事からも察せられます。
それらを踏まえると、王騎が差し出した昌文君の偽の首には彼の昌文君への信頼と「助けたい」という気持ちが込もっているのがが感じられます。
「昌文君の首」は王騎との信頼関係が表れている展開だったな、と今振り返ると分かるエピソードでした(*^^*)
王騎と昌文君の信頼関係を象徴する重要な伏線でした。
昌文君の名場面を紹介!
16巻!王騎との名場面

王騎と摎(きょう)のエピソードに登場する若き日の昌文君。
六将の一人であるレジェンド王騎ともうひとりの六将である摎(きょう)との関係が描かれた過去エピソードは、かなりの衝撃を受けました。
その際に登場した王騎の昌文君への評価とも取れる**「無骨な賢人は信頼できる」**というセリフ。
これ、まさに昌文君の特性を表していますよね!
この時は一武将であり文官ではなかった昌文君ですが、王騎は**「賢人」**と言っています。
この時代から昌文君を文官向きと見抜き、さらに**「信頼できる人物」**と心から昌文君を信頼できると評したのでしょう。
このエピソードは、昌文君が活躍する熱い戦闘シーンでは無いですし、彼が活躍するカッコいいシーンでもありません。
しかし王騎の全幅の信頼が表されているこのシーンは、昌平君というキャラクターを見事に表している名場面と、言えるように感じますよ。
レジェンド王騎による昌文君評価シーンは、**彼のNo.1名シーン**だとアースは感じています!
蕞攻防戦での奮戦
老齢に差し掛かった身でありながら、城壁上で剣を取り、民兵たちと共に戦う姿が描かれています。
政が民を鼓舞する後ろで、黙々と役割を果たす姿が「古き秦の武人」の象徴として印象的でした。
文官でありながら武器を取り、ボロボロになりながらも「王をお守りするのだ!」と兵を鼓舞し続ける姿は、武人としての矜持と忠誠心が爆発した名場面です。
西壁守備を任され、山の民到着までの時間を稼ぐ一角として奮戦しました。
45巻!斉王会談での名場面

鄴陥落編前に展開した、斉王会談。
物語としては鄴陥落を成す最後のピースである斉からの食糧調達には欠かせないエピソードなので、ここで登場したのでしょう。
そんな嬴政と斉王の会談ですが、**ここで昌文君は見事な活躍を見せています。**
斉王の質問を見事に返し、斉王に秦に敵対しないという言葉を引き出す嬴政。
その展開に昌文君は「降る話」と、斉が秦に降伏するという意味であると理解します。
この場面を読んだ時に昌文君の回想ナシで、これが「降る話」とキチンと読めた読者がどれだけいるでしょうか?
イメージとしては分かるかもですが、**「非公式だけれど斉が秦に降伏しようとしている」**と言う意味を持っている話だと理解できるのは、昌文君の回想解説があって初めて成立しますよね。
このように、昌文君は「展開の意味を読者に解説する」という役割を担っているところが多々あります。
合従軍編での嬴政の演説がどれほどスゴいか、と理解させるシーンもありましたよね。

このように、昌文君には読者にその意味やスゴさを理解させる役割があるのだろう、と察せられます。
そういう意味で昌文君の名場面とは、自身の熱い格闘シーンよりも嬴政達のスゴさややり遂げた意味を解説するシーンが「名シーンであるべきなのでは」と感じますよ。
実際、**むちゃいい味出していますよね!(*^^*)**
嫪毐(ろうあい)反乱編の最後でも、いい味出していました(笑)

昌文君の名場面とはまさにこのようなところであり、最高に光っているかなと。
このような「キングダム」の忠臣昌文君の名場面は、まだまだこれからも見られるでしょう。
昌文君死亡シーンもマストですが、昌文君の名脇役シーンは最後まで要チェックですよ!\(^o^)/
加冠の儀〜咸陽攻防戦
加冠の儀直後に呂不韋陣営が兵を動かしたと知り、すぐさま自軍を咸陽城内へ展開する采配を見せました。
政の覚悟を理解しつつも、命を案じてなお戦場に同行する「父親のような」一面が描かれています。
加冠の儀では左丞相として列席し、儀式後ただちに昌平君の離反と連携して咸陽防衛を主導しました。
毐国の乱による咸陽攻防戦では、兵一千を率いて駆け付け、毐国軍撃破に貢献しています。
「三本の柱」執行後の倒れ込み
戸籍作りと徴兵制度構築という、国の根幹を短期間で整えた後、机に突っ伏して倒れるシーンがあります。
老体に鞭打ってなお「中華統一」のために前に出続ける姿として印象的でした。
昌文君の物語上の役割と重要性
嬴政陣営の「父世代」の代表
王騎・蔡沢・蒙驁らが退場した後も、昭王時代を知る数少ない生き証人として残り続けています。
信・政・蒙恬・王賁ら「若き世代」と、昌平君・昌文君・李斯ら「中堅」を繋ぐ存在として機能しています。
「武から文へ」の象徴
昭王期には武の人、政期には文の人として生きる姿が、「戦乱の秦が法治国家へ変わる過程」を体現しています。
政の道徳的・情緒的支柱
呂不韋のような冷徹な合理主義でも、桓騎のような憎悪でもなく、「人としての筋」を重んじる価値観を政の側に置く役割を担っています。
政の中華統一に「優しさ」が必要であるとする視点を補強するポジションです。
読者の目線に近い「現場感覚」
戦略面は昌平君、法理面は李斯が高度に抽象的な議論をする中で、昌文君は「現場の兵や民」の視点からツッコミを入れることが多く、物語の理解を助ける役割を担っています。
昌文君は派手な活躍をするタイプのキャラクターではありませんが、嬴政政権の安定に欠かせない存在です。
序盤こそ秦王嬴政の側近として活躍しましたが、現在は左丞相として地位は高いものの、昌平君や李斯に比較して影が薄い印象もあります。
しかし、最初期から嬴政を支え続け、信の成長も見守ってきた昌文君は、物語における重要な証人であり、嬴政が中華統一を成し遂げる過程で欠かせない人物です。
アニメ昌文君の声優は仲野裕さん!!

| 項目 | 内容 |
| 名前 | 仲野 裕(なかの ゆたか) |
| 身長 | 175cm |
| 体重 | 68kg |
| 血液型 | AB型 |
| 誕生日 | 1951年1月10日 |
| 年齢 | 74歳(2025年現在) |
| 出身地 | 神奈川県 |
| 所属 | 懸樋プロダクション |
昌文君の担当声優さんは仲野裕さんです。
本業は舞台俳優の仲野裕さんは74才の大ベテランですが、ベテランな感じは昌文君のイメージですよね(笑)
落ち着いた低音で、武人時代の豪胆さと文官としての威厳を両立させた演技が特徴です。
管理人アースとしては「東京喰種トーキョーグール」の篠原幸紀役としてのイメージがあります。

鈴屋什造という特異な少年の理解者であり、懐の深い篠原役のイメージは何となく昌文君とも重なります。
仲野裕さんのイメージが自然に固まっていく管理人アースでした(笑)
なお、VOMIC版では秋元羊介さんが、PSPゲーム版では玄田哲章さんが声を当てています。
実写映画昌文君キャストは高嶋政宏さん!

| 項目 | 内容 |
| 名前 | 髙嶋 政宏(たかしま まさひろ) |
| 身長 | 185cm |
| 血液型 | B型 |
| 誕生日 | 1965年10月29日 |
| 年齢 | 60歳(2025年現在) |
| 出身地 | 東京都世田谷区 |
| 所属 | 東宝芸能 |
言わずと知れた芸能一家の長男な高嶋政宏さんが、実写映画昌文君の担当俳優となっています。
高嶋政宏さんの昌文君…
原作の感じが、むちゃ出ていたように感じましたよ!
アースの中ではマンマなイメージでした!(笑)
1作目以降、政側の重鎮としてシリーズ通して出演しており、その堂々とした存在感が話題となりました。
続編「キングダム」でも高嶋政宏さんの昌文君が見られるのか、楽しみですよ(*^^*)
なお、舞台版では小西遼生さんが演じています。
昌文君FAQ – よくある質問
Q1. 昌文君は何でそんなに戦の経験が多いの? 若い頃は何をしていた?
昭王の時代から前線で戦ってきた「生粋の武人」であり、王騎や摎と共に数々の戦場を経験しているとされます。
六大将軍の全盛期を間近で見てきた世代で、その経験値が現在の政治判断にも生かされています。
Q2. 作中で昌文君はどのくらい強い? 一騎打ちレベル?
若い頃は将軍級の武人だったことが明言されており、並の将軍より経験は豊富です。
ただし物語本編時点では年齢的に前線を退いており、王騎や蒙武のような「怪物級」と比べる描写はありません。
現在は武力よりも政治力・調整力の部分で「強さ」が描かれています。
Q3. 昌文君はいつから文官になったの?
嬴政の即位後にはすでに文官へ転身しており、その後に王弟・成蟜の反乱(王都奪還編)が起きる流れになります。
王都奪還そのものが”転身のきっかけ”というよりは、「すでに文官となっていた昌文君が、王都奪還時に無力だった自分を恥じて、文官の極みである丞相を目指すと誓う」というニュアンスです。
以降は一貫して文官として登場します。
Q4. 史実に昌文君は存在する?
史実の秦にも「昌文君(しょうぶんくん)」と呼ばれる宰相級の人物が存在し、荘襄王〜始皇帝初期にかけて左丞相を務めたとされます。
『キングダム』の昌文君は、この史実人物をベースにしつつ、大幅に脚色・再構成されたキャラクターと考えられます。
Q5. 今後死にそうな描写はある?
77巻・856話時点では死亡フラグらしい直接的な描写はなく、むしろ「三本の柱」を完遂したことで老体に鞭打ってなお政を支え続けている段階です。
史実的には始皇帝の統一期までは在職しているため、作中でもしばらくは存命である可能性が高いと考えられます。
ただし史実では紀元前226年に亡くなっているため、作中でもその時期に死亡する展開が描かれる可能性はあります。
Q6. 昌文君と昌平君の関係は?
史実の昌文君と昌平君は、甥とおじの関係だと記されています。
作中では政陣営の「軍事頭脳」である昌平君と、文官トップの昌文君という関係で、常に二人三脚で政を支えています。
Q7. 昌文君の本名は?
作中では明かされていません。
昌文君は爵位名であり、本名ではありません。
史実でも本名は不明とされています。
今回は昌文君について検証しました。
初期から登場し嬴政を支え続けている昌文君。
まだまだ活躍する場面は登場しそうですよね!
最後の場面まで、見届けなきゃですよ!\(^o^)/






