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【キングダム】司馬尚(しばしょう)完全ガイド|登場・強さ・死亡説・史実の最期を徹底解説

アース
アース
誰が戦うのか…強すぎる…

「キングダム」に突如として登場した司馬尚(しばしょう)。

その描かれ方からして、ザコキャラではないことは間違いないでしょう。

これまでキングダムを追いかけてきたファンなら、誰もが察せられるところだと感じます。

顔のビジュアルは分かっていないながらも「李牧が三大天に推薦した」「趙の大虎」という表現からもとんでもない人物であることが窺えます。

それでも、あまりに情報が少なかった司馬尚ですが、最新77巻・856話までの展開で、その全貌がついに明らかになってきました。

調べてみると、史実にも登場する人物だと分かりました。

そこから予想される、「キングダム司馬尚」の活躍とはどのようなものなのか?

司馬尚の初登場巻から、その強さと趙の英雄としての最新の活躍までを徹底的に解説します。

見て行きましょう!

目次 / Contents
  1. キングダム司馬尚(しばしょう)プロフィール
  2. 司馬尚の生死状況
  3. 司馬尚の性格
  4. 司馬尚の強さ・能力
  5. 司馬尚の主要な関係性
  6. 司馬尚の戦歴年表
  7. 司馬尚の名場面
  8. 司馬尚の役割・立ち位置
  9. キングダム司馬尚は史実に登場
  10. アニメ版・声優情報
  11. 司馬尚FAQ(よくある質問)
  12. キングダム司馬尚のまとめ

キングダム司馬尚(しばしょう)プロフィール

名前司馬尚(しばしょう)
出身国
出身地青歌城
地位将軍・青歌城主/趙三大天の一人
初登場46巻502話「機先を制す者」
使用武器大矛
容姿細身の長身、ウェーブのかかった長髪
CV未定(アニメ未登場)

司馬尚とは何者か

司馬尚(しばしょう)は、趙国東部の青歌城(せいかじょう)の城主であり、趙三大天の一人です。

史実では紀元前229年に李牧と並び有能な将軍として評価され、秦の将軍王翦の攻撃に抵抗した記録が残されています。

キングダムでは46巻502話「機先を制す者」で初登場し、長年病床に伏しているという表向きの理由で中央を避けてきました。

使用武器は大矛で、細身の長身という特徴を持ち、顔が描かれないことが多い謎多き人物として描かれています。

史実では三国志で有名な司馬懿、司馬師、司馬昭の先祖にあたる可能性も示唆されています。

司馬尚の生死状況

77巻・856話時点では生存

結論から言えば、司馬尚は明確に生存しています。

番吾の戦い(紀元前232年)において、秦軍総大将・王翦の軍を壊滅的な状況に追い込む活躍を見せた後も健在です。

死亡シーンも、死亡報告も一切描かれていません。

むしろ、王翦軍の幹部たち(麻鉱・亜光・田里弥など)が、朱海平原〜番吾にかけて李牧・司馬尚の連携による攻勢の中で次々と戦死しているため、「王翦軍側の被害の大きさ」と対比して、司馬尚の無傷ぶり・安定感がむしろ際立つ構図になっています。

史実での最期

史実によれば、紀元前229年に李牧と共に王翦の攻撃に抵抗していた司馬尚でしたが、李牧が誅殺されると同時に更迭(こうてつ)、つまり将軍の身分を奪い取られました。

しかし李牧とは異なり、司馬尚は更迭の命令に従ったため処刑されることはありませんでした。

その後、司馬尚は身の危険を感じて逃亡し、一人生き延びています。

李牧の死から3ヶ月後に趙国が滅亡した後、司馬尚が歴史の表舞台に登場することはなくなりました。

司馬尚の性格

郷土愛と中央政府への嫌悪

自身が治める「青歌」という土地と、そこに住む人々を何よりも大切にしています。

中央政府(邯鄲)の腐敗や権力争いには嫌悪感を示し、長年関わりを避けてきました。

趙の王宮が気に入らず、出仕もせず三大天の要請も受けてこなかった背景には、相当に頑固で複雑な気性があります。

見た目からそこまで若い将軍でもないようで、バーサーカーのような龐煖とは異なり、むしろ計算高い一面も持ち合わせています。

寡黙・不言実行型

戦場でも私生活でも、必要以上に多くを語らず、重い一言で周囲を動かすタイプとして描かれています。

青歌軍の将兵は、司馬尚の背中と結果を信じてついていきます。

「三大天に任命されるほどの能力を持ちながら、面倒くさい性格ゆえに仮病を使って領地・青歌に引きこもっている」と周囲から噂される人物として紹介されています。

戦場で「この戦を早く終わらせて、早く青歌に帰ろうぜ」といった趣旨の発言をしており、自分の居場所はあくまで青歌であって、中央の大戦には”義理で出てきている”という本音が垣間見えます。

カリスマ性と部下への責任感

側近であるカン・サロやジ・アガをはじめ、青歌の民や兵士たちからは絶大な信頼と敬愛を寄せられています。

彼のためなら命を捨てることも厭わないほどの忠誠心を集めています。

青歌という一地方都市に籠もる一方で、その領域と住民を死守する覚悟は誰よりも強いのです。

青歌軍の精兵たちは極めて結束が高く、その士気・練度の高さが番吾戦で描かれています。

司馬尚の強さ・能力

圧倒的な武力

「武神」龐煖(ほうけん)に匹敵するとも噂される圧倒的な武力を持っています。

巨躯から繰り出される矛の一撃は、王翦軍の精鋭部隊を容易に粉砕し、王翦軍の将軍・亜光(あこう)や倉央(そうおう)を圧倒するほどです。

782話では、田里弥直属の将軍・陀輪公が司馬尚の電撃突撃を受け、一瞬で首を跳ね飛ばされるような形で瞬殺されます。

このシーンは、これまで”青歌の主””李牧の切り札”と語られてきた司馬尚の個人武勇が、初めてはっきりと描かれた場面です。

大軍指揮・正面決戦の鬼

宜安決戦では、李牧の総合戦略のもとで趙軍主力の一翼を担い、秦六大将軍・桓騎率いる秦軍を包囲・分断して壊滅に追い込みました。

続く番吾の戦いでは、司馬尚率いる青歌軍が中央戦線に布陣し、高い士気と統率力を活かして王翦本軍に対して猛攻を仕掛けました。

結果として、王翦軍の第一将・亜光や第三将から昇格した田里弥が、この番吾戦で戦死するに至っています。

単に後方で采配を振るうだけでなく、必要とあらば自ら最前線に出て敵将級を一撃で屠るだけの個人武勇・瞬発力を持っています。

数万単位の直属軍をまとめて一気に押し出し、敵本陣を一直線に狙う「重戦車型」の突破を得意としています。

李牧とのコンビネーション

李牧は情報戦・布陣・戦略の天才として描かれ、司馬尚はその描いた戦略を正面の圧力として完遂する「武の柱」として機能しています。

朱海平原で王翦に敗れた後の李牧が、再起を図る上で頼ったのが司馬尚と青歌軍であり、「李牧の戦略×司馬尚の正面火力」が秦にとって最大級の脅威となっています。

青歌軍の異常な強さ

司馬尚率いる青歌軍は趙国北部の最精鋭として知られ、燕のオルド軍が青歌に侵攻した際にこれを撃退した実績があります。

青歌軍の強さの秘密は、司馬尚の卓越した統率力と、彼に仕える個性派武将たちにあります。

本来、国の地方都市は守りの要となる将軍は1〜2人程しかおらず、趙でも比較的大きな武力を持っていた地方都「離眼(りがん)城」ですら城主である紀彗(きすい)を含め3人しか将軍はいませんでした。

それに対して青歌軍は大将軍級の実力を持つ司馬尚に加え、その配下にさらに4人の将軍がおり一地方都市としては考えられないほどの軍力を持っています。

主要メンバーには以下の武将がいます。

カン・サロ:司馬尚側近衆の筆頭で、「司馬尚を除けば青歌最強の武将」と称される実力者です。戦闘時には仮面を着用し、秦北東部軍総大将・曹波広を瞬殺するなど圧倒的な武力を誇ります。

ジ・アガ:「青歌一の豪傑」と評される剛将で、オルド軍との戦いで一人で百人斬りを成し遂げた逸話を持ちます。蒙武を彷彿とさせる突撃型の武将です。番吾の戦いで秦将・糸凌との死闘の末に戦死しました。

楽彰(がくしょう):青歌の第二将で、冷静沈着な智将型の人物です。蒙恬に深手を負わせ戦線離脱に追い込むなど、中華でも指折りの強者とされています。名前に「楽」の文字があることから、燕の名将・楽毅と同じ一族ではないかという考察もあります。

上和龍(じょうかりゅう):当初は堅物そうに見えましたが、ユーモラスな一面を持つ武将です。宜安の戦いでは岳雷を討ち取り、信と互角に渡り合う実力を見せました。

司馬尚の主要な関係性

李牧(りぼく)との関係

李牧とは長年の戦友かつ対等な盟友関係です。

趙王都から疎まれ失脚した李牧が再び北部戦線に復帰した際、司馬尚は彼の要請に応じて、青歌軍を率いて宜安・番吾の大決戦に参戦しました。

李牧の側から見ると、「王都からの信頼を失った自分が、それでも趙を守り抜くために頼れる最後の柱」が司馬尚であり、宜安〜番吾はまさにこの二人のコンビで成り立った防衛戦だったといえます。

史実では、司馬尚は李牧と同格のような書かれ方をされており、二人は共に秦の王翦・羌瘣・楊端和の大軍と戦った記録があります。

漫画『キングダム』では、司馬尚が李牧を青歌に受け入れ、青歌軍が秦と趙の戦争に参戦することを決めた経緯が回顧録として描かれています。

この関係性は単なる軍事的協力を超えた、深い信頼関係に基づくものと考えられます。

王翦(おうせん)との関係

王翦と司馬尚は、互いに「一国の興亡を左右するレベルの総大将」として初めて本格的に激突したのが番吾の戦いです。

朱海平原では王翦が李牧を退けましたが、その後の宜安〜番吾では王翦軍が司馬尚・李牧連合の前に敗退し、王翦軍幹部が多数戦死しています。

王翦の代名詞である「絶対に勝てる戦しかしない」ポリシーが通じず、撤退を余儀なくされた数少ない戦いが番吾であり、その正面に立ちはだかったのが司馬尚(と李牧)である点で、物語的にも強い対立軸となっています。

番吾の戦いにおいて、王翦が築いた堅固な守備陣形を正面から粉砕し、王翦の目の前まで迫ったシーンは、王翦をして「想定外の化け物」と言わしめました。

信(李信)との関係

現時点では、司馬尚と信が真正面から刃を交える場面はまだ描かれていません。

番吾戦では、李牧が囮部隊やどるいの砦を多用して飛信隊を戦場深くに誘い込み、その間に司馬尚が王翦本軍を叩くという形で役割分担しているため、戦場は同じでも直接対峙していません。

ただし、李牧側からは「いずれ信が中華の行方を左右する存在になる」という認識があり、その信を討つための戦略包囲網の一角として司馬尚・青歌軍が機能しているため、将来的に両者が激突する伏線は強く感じさせる構図になっています。

桓騎(かんき)との関係

司馬尚が秦六大将軍・桓騎と直接一騎打ちをした描写はありませんが、紀元前233年の宜安決戦において、李牧が立案した包囲作戦により桓騎軍は壊滅し、桓騎本人も戦死しています。

この宜安戦に、青歌軍と司馬尚が趙の主力として参加しており、戦略的には「李牧+司馬尚連合」が桓騎を葬った形となります。

青歌軍がこれまで表舞台に出ることを拒んできたにも関わらず、趙に協力するようになったきっかけは、桓騎の暴走にあると考えられています。

桓騎が趙前線へ侵攻し、青歌が桓騎の魔の手に晒される恐れが生じたため、青歌を守るべく結果的に趙のために迎撃する形になったとされています。

青歌の民との関係

司馬尚の統治下にある青歌では、難民や行き場を失った人々を受け入れる寛容な政策がとられています。

住民たちは彼を単なる領主としてではなく、自分たちの生命と生活を守ってくれる「守護神」のように慕っており、その絆の強さが青歌軍の異常なまでの士気の高さの源泉となっています。

司馬尚の戦歴年表

時期戦い巻数内容
鄴陥落編燕将オルド軍撃退戦46巻〜燕の名将オルドが趙北部へ侵攻した際、わずか5千の兵でオルド軍2万を撃退。これにより、中央にその名が轟くこととなった。司馬尚の初登場エピソード。
紀元前233年宜安決戦66〜69巻秦は邯鄲攻略を目指し、趙北部・宜安から兵を進めるが、李牧は圧倒的兵力を宜安に集結させて秦軍を待ち構える。復帰した李牧のもとに司馬尚率いる青歌軍も参戦し、桓騎軍を包囲・分断。結果として桓騎軍は壊滅し、六大将軍・桓騎は戦死、秦は大敗を喫する。
紀元前232年番吾の戦い71〜73巻宜安での大敗からの雪辱を期して、秦は総大将・王翦のもと総勢25万の兵を集め番吾へ進軍。趙側は李牧が全体戦略を立て、司馬尚が青歌軍を率いて中央戦線を担当。開戦早々、李牧は囮とどるいの砦を駆使して飛信隊を戦場深くに誘引し、その隙に司馬尚が王翦本軍に猛烈な圧力をかける。その結果、王翦軍の第一将・亜光、田里弥らが番吾で戦死し、王翦軍の精鋭幹部はほぼ壊滅。
番吾戦後韓攻略戦74〜77巻番吾戦後、秦は趙北部での連戦連敗により一時的に攻勢を緩め、昌平君主導の”三つの柱”(国内統治の立て直し・戸籍作り・韓攻略など)に舵を切る。司馬尚は依然として趙北部の切り札として健在だが、物語上は一旦”温存”されている状態。

司馬尚の名場面

燕将オルド軍との初戦

燕の名将オルドが趙北部へ侵攻した際、それを迎え撃つ形で司馬尚が初登場しました。

李牧いわく「趙北部を預かる英雄」として紹介され、後の宜安・番吾での活躍への布石となりました。

燕のオルドが趙へ侵攻した際、司馬尚はわずか5千の兵で山岳地帯の地形を巧みに利用し、オルド軍の主力を翻弄しました。

この戦いにおいて、彼はオルドの心理を読み切り、燕軍が攻めあぐねて撤退せざるを得ない状況を作り出すという、武力だけでなく知略も兼ね備えた名将としての側面を見せています。

李牧との再会と北部決戦への出陣

王都で失脚していた李牧が再び北部に戻り、司馬尚のもとを訪れて出陣を要請する場面。

腐敗した王と郭開に対する不信を共有しつつ、「それでも趙を守る」という一点では一致している二人の、静かだが熱い会話が印象的でした。

宜安での桓騎軍壊滅の一端を担う戦い

詳細は李牧視点が多いものの、趙軍主力の一翼として、青歌軍が秦軍を各個撃破していく様子が描かれ、結果として六大将軍・桓騎の最期へとつながっていきます。

番吾での青歌軍総進撃と王翦本陣包囲

72〜73巻にかけて、司馬尚の号令一下、青歌軍が高い士気を保ったまま王翦本陣へ肉薄し、ついには包囲網を完成させる展開。

王翦軍最強クラスの幹部たちが次々と討ち取られていく中、なお崩れない青歌軍の統率と、黙々と職務を果たす司馬尚の姿が強烈なインパクトを残しました。

司馬尚は単騎で飛び込んでいるわけではなく、直属の3万人を率いて南下し、救援ではなく明確に「王翦の首を狙って」進軍していました。

これにより、「ジ・アガ救出に来たヒーロー」ではなく、「王翦暗殺のために自ら最前線まで出てきた総大将クラス」という位置づけが強調されます。

「狼血の契り」ジ・アガの最期とカン・サロの誓い

青歌軍副将ジ・アガが、秦の女猛将・糸凌との死闘の末に討たれる787話「狼血の契り」では、カン・サロがジ・アガと交わした”狼血の契り”を胸に、司馬尚を援けるために戦い続ける決意を固めます。

ここで描かれる青歌軍内部の結束と忠誠心は、司馬尚という指揮官の求心力を間接的に示す名場面となっています。

戦死したジ・アガに対し、言葉少なにしかし深い悲しみを見せた場面は、彼の部下想いな一面を象徴しています。

司馬尚の役割・立ち位置

趙側の”最後の切り札”

合従軍戦以降、秦国内の内乱・趙王都圏攻略戦を経て、趙は徐々に追い詰められていきます。

その中で「李牧+司馬尚+青歌軍」は、趙が持つ最後の大駒といえる存在であり、秦側から見れば中華統一への最大級の障害となっています。

趙国の最終兵器として、李牧が隠し持っていた最強の切り札です。

秦の中華統一を阻む最大の壁の一つとして立ちはだかっています。

李牧の戦略を具現化する”武の柱”

李牧は緻密な布陣や謀略で敵を追い詰めるタイプですが、その緻密な戦略を現実の戦場で成立させるには、正面で押し勝てる絶対的な武力が必要となります。

その役割を担うのが司馬尚と青歌軍であり、宜安・番吾はこの二つが揃ったがゆえに秦が敗北した戦といえます。

王翦・信ら主人公側が”越えねばならない壁”

朱海平原で李牧を退けた王翦軍が、番吾では逆に司馬尚・李牧の前に大敗し、幹部の大半を失うという展開は、秦側にとっても読者にとっても強烈なカウンターパンチとなりました。

この敗北により、王翦と信は「李牧+司馬尚」という新たな最強コンビに対して、再起と再戦を余儀なくされる構図となり、物語終盤の大きな山場への布石となっています。

“腐敗した国に仕える英雄”というテーマの体現者

司馬尚は、趙王・幽繆王や郭開のような腐敗した支配者に心から従っているわけではありません。

それでもなお、李牧と共に趙を守る戦いを選んでいます。

これは「国がどれだけ腐っても、そこに生きる民や領土を守る武人がいる」というテーマを象徴する存在であり、秦王・嬴政の掲げる中華統一思想との対比としても機能しています。

「青歌」という独立勢力の象徴として、腐敗した趙国中央とは異なる、純粋な「守るための武力」を持つ存在として描かれています。

キングダム司馬尚は史実に登場

司馬尚は、史実にも登場しています。

しかし、その情報はかなり少ないです。

紀元前229年に王翦・羌瘣・楊端和率いる大軍に攻め込まれた趙王は、李牧と司馬尚に迎え撃つよう指示します。

この時に初めて、史実に司馬尚が登場します。

李牧と司馬尚は善戦し、王翦を苦戦させます。

そこで趙王の側近である郭開に賄賂を送り、取り込む策に出ます。

その策は成功し、郭開を取り込みます。

そして郭開を通じ、趙王 幽繆王に「李牧と司馬尚が謀反を企んでいる」と信じ込ませることに成功します。

信じた幽繆王により、李牧と司馬尚は将軍職を解かれます。

これが、史実に登場した司馬尚の最後です。

司馬尚の子孫

司馬尚には司馬卬(しばごう)という息子がおり、この息子は始皇帝が死去した後、反秦の軍を起こした陳勝が派遣した武臣という武将の部下として合流しています。

武臣が殺されると、司馬卬は張耳の配下になり河南地方を平定し、父に劣らない軍略の才を発揮しました。

項羽が秦を滅ぼすと司馬卬は殷王に封じられましたが、その後劉邦に寝返り、紀元前205年に彭城の戦いで破れ項羽の軍により殺害されています。

そして、この司馬卬の遥か遠い子孫が河南に住みついた司馬懿とされています。

つまり、諸葛亮孔明を破り北伐を断念させ、孫の司馬炎の代には魏王朝を纂奪した司馬懿は、李牧の副官だった司馬尚の遠い子孫なのです。

アニメ版・声優情報

2025年11月時点で放送・制作が公表されているTVアニメ『キングダム』シリーズでは、原作の時間軸はまだ鄴攻め〜それ以降の北部決戦には到達しておらず、司馬尚はアニメ本編に未登場です。

そのため、司馬尚役の声優キャストも公式には未発表となっています。

司馬尚FAQ(よくある質問)

Q1. 司馬尚はもう死んだの?

いいえ。単行本77巻・最新話856話時点では、司馬尚は明確に生存しており、死亡シーンも死亡報告も一切描かれていません。

宜安決戦・番吾の戦いはいずれも趙側の勝利で終わり、王翦軍や桓騎軍の側に大きな犠牲が出ている一方で、司馬尚自身は健在のまま趙北部の守護者として描かれています。

Q2. 司馬尚はいつから登場した?

初登場は、原作の「鄴陥落編」(鄴攻め)における燕将オルド軍との戦い。

王翦率いる秦軍の侵攻と同時期に、趙北部へ侵攻してきたオルド軍と戦う趙側の英雄として、青歌軍の総大将・司馬尚が初めて姿を現します。

その後、宜安決戦(66〜69巻付近)、番吾の戦い(71〜73巻)と、趙北部の大戦ごとに出番が増えていきます。

Q3. 司馬尚は実在した人物ですか?

はい、史実(『史記』趙世家など)に登場します。

李牧と共に秦軍を防いだ名将として記録されていますが、最終的には趙王の讒言によって更迭されたとされています。

Q4. 司馬尚は三大天になりましたか?

作中では李牧から推挙されましたが、本人が固辞したため、正式に三大天の席には座っていません(三大天の空席はそのまま)。

司馬尚は中央政府(邯鄲)の腐敗や権力争いには嫌悪感を示し、長年関わりを避けてきました。

Q5. 司馬尚の代表的な名シーンは?

読者から特に印象的と語られるのは、次のような場面が多いです。

燕将オルド軍を迎え撃つ”北部の英雄”としての初登場シーン、失脚していた李牧と再会し、腐敗した王都への嫌悪をにじませつつも、趙のために共に戦うことを決意する会談シーン、宜安決戦・番吾の戦いで、青歌軍を率いて秦の最強クラスの軍団(桓騎軍・王翦軍)を正面から叩き、結果として六大将軍・桓騎の戦死や王翦軍幹部の大量死を招いた一連の戦闘描写、787話「狼血の契り」で、ジ・アガの死とカン・サロの誓いを通じて浮かび上がる、司馬尚と青歌軍の深い結束・信頼関係などが挙げられます。

キングダム司馬尚のまとめ

今回は「キングダム」のラスボス候補「司馬尚」について、最新77巻・856話までの情報を含めて徹底解説していきました。

大国趙の最後の砦となる司馬尚は李牧同様「ラスボス」に相応しい強さで描かれています。

また、史実では地方都市に飛ばされたということまでしか記載がないため、もしかすると今後、秦国が趙を統一した後に共闘するなんて展開もあるかも知れませんね。

今後、全貌が明らかになっていくであろう司馬尚の活躍に今後も目が離せません!

りぼく
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