「フォーフォッフォ」と高らかに笑う蒙驁(もうごう)将軍。
史実にも実在した秦の将軍で、「キングダム」では老将でありながら「凡人」と評されています。
しかし蒙驁が死亡する場面は、多くの読者が涙した名シーンとして語り継がれています!
蒙驁は何巻で死亡したのか?
片腕になった理由は?
廉頗との名場面とは?
蒙驁将軍のすべてを徹底解説します!
キングダム蒙驁(もうごう)プロフィール
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 名前 | 蒙驁(もうごう) |
| 通称 | 白老(はくろう) |
| 出身国 | 斉 |
| 所属国 | 秦 |
| 階級 | 大将軍(秦国筆頭) |
| 初登場 | 18巻・山陽攻略戦編 |
| 家族 | 息子:蒙武(もうぶ) 孫:蒙恬(もうてん)・蒙毅(もうき) |
| 副将 | 王翦(おうせん)・桓騎(かんき) |
| 能力値 | 武力:85 / 知力:91 / 指揮力:90 / 経験値:S |
| 死亡 | 34巻にて老衰により病没 |
| 声優 | 伊藤和晃 |
キングダム蒙驁は死亡したのか?最期のシーンとは

蒙驁は34巻にて病没しています。
王騎のような壮絶な戦死ではなく、老衰による自然死でした。
合従軍戦から年が明けた「始皇七年」、危篤の知らせを受けた信と蒙恬が駆けつけます。
意識を失っていた蒙驁でしたが、二人の呼びかけで目を覚まし、静かに起き上がって語り始めました。
蒙驁は自身が英雄になりたかったが才能はなかったこと、斉で生まれ各国を巡り秦でようやく芽が出たことを語ります。
そして六大将軍たちを「早く死ねと思うほどに嫌いだった」が「心の底ではかっこいいなーといつも思っておった」と本心を吐露しました。
三人で一緒に高みへ登れ
この言葉を最期に、信と蒙恬に「蒙恬と信と王賁 三人で一緒に高みへ登れ」と最後のメッセージを託し、起き上がった状態で静かに息を引き取りました。
息子の蒙武は駐屯先で敵に動きがあり戻ることができませんでしたが、悲報を受け取ると幼少期の記憶を思い出し、「すさまじい長旅であったな…親父殿」と大きな杯を天に掲げました。
蒙恬は涙を流しながら「俺にとっての一番の英雄は六将ではなく蒙驁大将軍だった」と語り、祖父への深い敬愛の念を示しています。
キングダム蒙驁の性格と人物像
温厚で包容力のある「白老」
蒙驁は「白老」の愛称で親しまれ、温和で懐の広い性格の持ち主でした。
特権意識を振りかざさず、困った時でも「フォッフォッフォッ」と笑い場を和ませる姿勢が特徴的です。
兵達を「わが息子達よ!」と呼んで奮い立たせ、兵達にとって蒙驁は大将軍でありながらも父のような存在でした。
凡将としての自覚とコンプレックス
蒙驁は自らを「凡将」と自嘲することもありました。
同世代の「秦の六大将軍」や「趙の三大天」といった天才たちに対し、自分は凡人であるという劣等感を抱きつつも、彼らへの憧れを胸に抱き続けていました。
本人も自覚しており34巻での死に際でさえも「英雄になりたかったがその才能がなかった」「六将たちが大嫌いだった」と語っております。
人を見る目と人徳
しかしいっぽうで、王翦と桓騎というとんでもなく飛び抜けた才能を持ちながら通常なら扱えないであろうニ将を部下に持ち、それを御しています。

この二人を御しているだけでも、スゴいですよね!
桓騎が蒙驁にだけは敬意を払っていた理由として、蒙驁が特権意識を振りかざさないという点が挙げられます。
野盗出身の桓騎や「自らが王になる」という野望を持つ王翦のような危険人物を、蒙驁は問題なく配下に置くことができました。
凡人ながらも「人を見る目」と「人徳」が尋常ではないことが、ここから窺えます。
最後に「蒙恬・信・王賁の3人で一緒に高みに登れ」と語っており、ここにも「人を見る目がある」ことが分かります。
自分の後に自分以上の才能を残し育てる才能はずば抜けている、とも言えるでしょう。
息子に蒙武、孫に蒙恬・蒙毅を残しているところも、そうですよね。
独特の癖:老兵への変装
蒙驁には、戦局が行き詰まったりプレッシャーを感じたりした際に、一兵卒(小汚い老兵)に変装して自軍の陣営内を徘徊するという一風変わった癖がありました。
この行動は彼なりの息抜き(セルフマネジメント)であり、その最中に同じく夜を歩いていた信と出会い、身分を隠したまま語り合うという名場面も生まれました。
この時、信の「戦いは最後に立っていた奴の勝ちだ」という単純明快な言葉に救われ、廉頗と戦う覚悟を決めています。
キングダム蒙驁の強さと能力
能力値と評価
蒙驁の能力は、武力85、知力91、指揮力90、経験値Sと評価されています。
文官の昌文君からは「極めて凡庸な将軍」と評され、強い敵には勝てないものの、弱い相手に取りこぼすこともない堅実な戦いぶりが特徴でした。
しかし六将・王騎は蒙驁の副将である桓騎と王翦を「世がまだ気付いていない化物」と高く評価しており、蒙驁の人を見る目の確かさを認めていました。
堅実な用兵術
蒙驁は定石通りの堅実な戦法を得意とし、冒険をせず、定石通りの布陣や砦の構築を得意とします。
派手さはありませんが、大崩れしない戦い方は強敵相手(廉頗など)にも有効に機能しました。
蒙恬から「城取り名人白老の戦いは常に奇策なしの常套手段のみ」と説明があり、この時から凡人な感じを匂わせます。
40年の積み重ねによる武力
天才たちに及ばないことを自覚していた蒙驁は、長年の鍛錬による筋力と経験で対抗しました。
山陽攻略戦での廉頗との一騎打ちでは、廉頗の一撃を受け止め、押し返すほどの怪力を発揮しています。
40年の想いを乗せ、渾身の一撃を放つ蒙驁は、廉頗を吹き飛ばすことに成功しました。
対廉頗用防御陣
山陽の戦いでは、40年間考え続けた対廉頗用の防御陣を構築し、地の利を活かした戦術で宿敵・廉頗に初めて勝利を収めました。
この防御陣は山地に巨大な迷路状の構造を組み上げ、廉頗軍を誘導して分断、各個撃破するという巧妙な戦術でした。
勘の鋭い廉頗がこれをことごとく突破することさえ計算に入れており、随時防御柵を置き換えることで強制的に罠へ誘導することもできる、人望と経験を活かした蒙驁らしい戦術でした。
キングダム蒙驁の主な人間関係
蒙武(息子)
親子関係は不仲ではないものの、蒙武の無愛想さもあり距離があるように見えました。
しかし、蒙驁の訃報を聞いた蒙武は、酒を飲みながら幼少期の父との放浪時代を思い出し、静かに父を偲びました。
蒙武は蒙驁のことを「人を見る目は天下一」と高く評価しており、深い信頼を寄せていました。
蒙恬(孫)
非常に可愛がっており、蒙恬も祖父を慕っていました。
蒙驁の死に際し、蒙恬は「自分にとっての一番の英雄はじいちゃんだった」と涙しました。
蒙恬も自由な環境で育てられたことに感謝し、祖父・蒙驁を心から敬愛していました。
山陽戦での「蒙驁を絶対に守り抜く」という蒙恬の知略の振るい方は、祖父への深い愛情を示すものでした。
信(李信)
蒙恬の友として、また有望な若手として目をかけていました。
死の間際には信にも言葉を遺しています。
山陽攻略戦において、輪虎によって千人将が次々と暗殺され指揮官不足に陥った際、三百人将だった信(および蒙恬、王賁)に対し、「条件付きの臨時千人将」への昇格を命じました。
この抜擢がなければ、飛信隊がその後の飛躍を遂げるのはもっと遅れていた可能性があります。
廉頗(宿敵)
かつて何度も戦い、一度も勝てなかった宿敵。
蒙驁と廉頗は同世代で、蒙驁が伍長・百人将・三百人将・千人将まで出世していく各過程で戦いあってきましたが、廉頗には一度も勝った事がありませんでした。
廉頗は蒙驁にとって、どうしても越えられなかった大きな壁であり、いつか対戦した際のための作戦を数十年かけて練り続けていたのです。
山陽攻略戦で再会し、蒙驁は積年の思いをぶつけました。
王翦・桓騎(副将)
非常に扱いにくいとされる王翦と桓騎という二人の才覚を見抜き、自軍の副将として従えることができる唯一の人物でした。
彼らも蒙驁に対しては一定の敬意や恩義を抱いていた描写があります。
キングダム蒙驁の戦歴年表
| 時期 | 巻数 | 戦役・出来事 | 役割・結果 |
|---|---|---|---|
| 放浪時代 | – | 斉から各国を放浪 | 幼い蒙武を連れて列国を放浪。成果が出ず、秦国にたどり着く |
| 昭王〜荘襄王期 | – | 秦での武将活動 | コツコツと武功を重ね、大将軍まで昇進 |
| 始皇六年 | 18巻〜 | 山陽攻略戦(対魏) | 総大将として出陣。副将に王翦・桓騎。廉頗との一騎打ちで左腕を失うも勝利 |
| 始皇六年 | 25巻〜 | 合従軍編(函谷関防衛) | 函谷関の守備を任される。張唐らと共に秦国の門を守り抜く |
| 始皇七年 | 34巻 | 病没 | 老衰により死去。信と蒙恬に看取られる |
キングダム蒙驁が片腕になった理由とは

合従軍編では片腕となっていた蒙驁将軍。
なぜ、蒙驁将軍は片腕なのでしょうか?
これは蒙驁将軍最大の見せ場であった、山陽攻略戦編の戦いで片腕となる展開があったからです。
それでは、蒙驁将軍が片腕となった場面を見てみましょう!
22巻廉頗との一戦を解説!

山陽攻略戦編の終盤。
蒙驁将軍は、天敵廉頗との一騎打ちに挑みます。
これまで一度も勝った事が無かった相手である廉頗。
しかし、この最後の一騎打ちで勝てば「全勝ちになる」と意気込み、蒙驁将軍は廉頗に立ち向かっていきます。
40年の想いを乗せ、渾身の一撃を放つ蒙驁。
廉頗を吹き飛ばします!
馬から叩き落とし、地面に倒れた廉頗を見てトドメを刺しに行く蒙驁。
「逝けい!廉頗!」
廉頗の頭に矛を振り下ろす蒙驁!
ところが次の瞬間、自身の左腕に廉頗の矛が突き刺さっていました。
左腕は切り落とされ、吹き飛ばされます。
40年の想いを乗せた蒙驁の攻撃により有利と思われた展開でしたが、それを一気に吹き飛ばす蒙驁の負傷。
蒙驁が片腕となった理由とは、「蒙驁の全てを乗せても廉頗の武力には敵わなかった」ことを表す描写だと言えるでしょう。
つまり、王騎たち六将と同等の武将である廉頗の力を表現するため負傷であった、と読み取れます。
蒙驁の片腕は、廉頗の力を表す描写だったと言えますね。
漫画では単行本22巻・第236話で片腕を失っていますが、アニメ版では片腕を失うシーンは描かれていません。
キングダム蒙驁の名場面を紹介

これまでに取り上げてきた山陽攻略戦編が蒙驁将軍が最も盛り上がる編でしょうし、廉頗との一騎打ちこそ蒙驁の名場面と言えるでしょう。
しかし「キングダム」全体としては、やはり信と蒙恬に看取られ亡くなる蒙驁死亡シーンこそ、蒙驁将軍最大の名場面だとアースは感じています。
廉頗との一騎打ち以上と感じられる蒙驁死亡シーンとは、どのような場面だったのか?
順番に見てみましょう!\(^o^)/
蒙驁将軍名場面!死亡シーンを紹介

蒙驁危篤の報を聞き、蒙驁の自宅へ駆けつける信と蒙恬。
臥せっていた蒙驁ですが、二人が訪ねて来た事を聞き体を起こします。
これが蒙驁の最期になると悟ったのか、目を鋭くし黙って蒙驁の話を聞く蒙恬。
「英雄になりたかった蒙驁の生涯」が語られます。
生国である斉では英雄になる夢は叶わず、各国を渡り秦へ流れ着く蒙驁。
そこでやっと武将として目が出てきて、コツコツと武功を重ねていきます。
しかしその横でとんでもないスピードで出世していく六将。
「たまらぬぞ。あんな化け物に張り合えるはずがない」
そして「大嫌いだった」と続けます。
六将に憧れる信は、その言葉に驚きます。
しかしその後に「心の底では…かっこいいなーといつも思っていた」と、本心を語ります。
続けて、信と蒙恬に金言を送ります。
三人で一緒に高みへ登れ
この言葉を最期に蒙驁は死亡するのですが、本当に名言ですよね。
読者からしてみれば信と蒙恬・王賁が刺激し合いながら成長し同時に将軍になっていくのだろうと、イメージはできます。
しかし作中で3人にそんな言葉をかけられるのは白老蒙驁をおいて、他に誰もいないでしょう。
そのように助言ができる資格を持ち実際に言えるのは、蒙驁大将軍しかいないです。
まさに蒙驁ならではの名言であり名場面だな、と感じるシーンでした!(*^^*)
廉頗への一撃
山陽の戦いで本陣に突撃してきた廉頗を迎え撃つため、蒙驁は矛を構えました。
この一世一代の勝負と覚悟を決めた蒙驁は、屈強な体格を活かして実力以上の力を発揮し、廉頗も驚くほどの武威を見せつけ、一時はほぼ互角の勝負を演じます。
「儂は六将の影に隠れ怯えていたのではない、いつか喰らってやろうと牙を研いでいたのだ」と叫び、格上の廉頗を押し込んだシーンは、蒙驁の40年の執念が結実した名場面です。
信との夜の出会い
老兵に化けて夜間に陣内を徘徊していた蒙驁が、同じく夜を歩いていた信と出会い、身分を隠したまま語り合うシーン。
信の「戦いは最後に立っていた奴の勝ちだ」という単純明快な言葉に救われ、廉頗と戦う覚悟を決めた場面は、蒙驁の人間味が溢れる名場面です。
キングダム蒙驁の役割と物語上の意義
旧世代から新世代への橋渡し
王騎・麃公・蒙驁といった昭王世代の大将軍たちが徐々に退場していき、信・王賁・蒙恬・蒙武・王翦・桓騎らが前面に出てくる構造の中で、戦死ではなく”老衰で退場する”稀有な大将軍でした。
蒙驁は次世代を意識して権限移譲を進める姿勢を見せており、若手三隊に偵察・突破・本陣急襲などリスクの高い任務を割り振っています。
「凡庸であることの価値」の体現
王騎や李牧のような天才ではなく、”凡将”と呼ばれるキャラをあえて大将軍ポジに据えることで、中華統一が「天才だけの物語ではない」ことを示す装置となっています。
蒙驁大将軍とは、戦の才は持っていなかったが「人を活かす才は六将以上の将軍であった」と分かります。
蒙家三世代の起点
蒙武(武力)、蒙恬・蒙毅(知略・バランス)という、蒙家の多面的な才能の源流として、系譜的な重みを持っています。
蒙家三世代が物語の主軸クラスに食い込んでおり、その”源流”として蒙驁の存在が背景的に効いています。
リーダーシップの教科書
蒙驁のリーダーシップには三つの特徴がありました。
第一に、勝てない相手とは無理に戦わず環境を変える決断力です。廉頗のいる斉ではなく秦で武功を積むという合理的な判断は、現代のビジネスでいえばマーケットを変える戦略に相当します。
第二に、異端とされる部下の本質を見抜き、適切なポジションへ配置する眼力です。王翦や桓騎の高い実力を早くから見抜き、自分には足りない武力・戦力を補完できると判断して副将として登用しました。
第三に、力ではなく人柄で部下を従える人徳です。人柄の良いリーダーに対して「この人の力になりたい」と感じさせる内発的動機付けは、マネジメントにおいて重要な要素とされています。
史実の蒙驁とは
キングダムでも「城取り名人」と呼ばれていましたが、これは史実から取ったニックネームであろうと思われます。
- 紀元前249年に、韓の成皋と滎陽を取る。
- 紀元前248年に、魏の高都と汲を攻め、さらに趙の楡次・新城・狼孟とを攻めて37城を取る。
- 紀元前244年に、韓を攻めて13城を取る。
- 紀元前242年に、魏を攻めて酸棗(現・河南省)など20城を奪い平定。
史実に残るだけでも70の城を取っており、まさにこれは城取り名人と言っても過言ではないでしょう。
史実において、蒙驁は9年間で70を超える城を攻略したという偉業を成し遂げています。
キングダムでは「六将に入れなかった凡将」とされていますが、史実では間違いなく当時のトップ将軍だったと考察できます。
息子に蒙武、孫に蒙恬、蒙毅を子孫に残しているのも史実通りであり、趙高に滅ぼされるまでの「蒙氏一族の開祖」と言える大人物です。
蒙驁の死は紀元前240年に記録されており、前年の函谷関での戦いと翌年の成蟜の乱の間の時期でした。『史記』によれば、その年には秦国でハレー彗星が目撃されています。
史実の蒙驁は、間違いなく中国史に残る大名将軍だと察せられます。
アニメ・声優情報
アニメ『キングダム』シリーズにおいても、山陽攻略戦・合従軍戦など主要エピソードで登場しています。
蒙驁の声は、伊藤和晃さんが担当されています。
アニメでは白髭の揺れや震える声など、老将感が一層強調されており、オロオロした台詞回しがコミカルな緩衝材として機能しています。
さて、今回は蒙驁将軍を見てきました。
原作では既に死亡退場している蒙驁ですが、アニメでは第4シリーズにて最期の死亡シーンが見られるでしょう。
蒙驁の最期の名場面。
アニメにて、必見ですよ!\(^o^)/
FAQ:キングダム蒙驁についてよくある質問
Q1. 蒙驁は何巻で初登場しますか?
山陽攻略戦が始まるコミックス第18巻で、秦軍総大将として初登場します。
Q2. 蒙驁はどの戦で死ぬのですか?
王騎のように戦死シーンが描かれるわけではなく、作中では病没・老衰による自然死とされています。具体的な最期のシーンは34巻で描かれ、「すでに故人となった秦の大将軍」として後年の会話・回想で語られます。
Q3. 蒙驁は強いの?それともただの凡将?
一騎打ちや”武神級”の強さはありませんが、二十万級の軍団運用・遠征作戦を「絶対に落とせる敵」相手に確実に成功させる能力は、国家規模で見ると極めて強力です。公式ステータスでも、経験値や指揮力は高く評価されており、「凡将」の皮を被った国家級の屋台骨と捉えるのが妥当です。
Q4. 片腕になったのはいつですか?
蒙驁は山陽攻略戦(魏攻略戦)において、敵の総大将である廉頗との一騎打ちの際に左腕を斬り落とされました。漫画では単行本22巻・第236話で片腕を失っていますが、アニメ版では片腕を失うシーンは描かれていません。
Q5. 現在の最新展開での影響は?
蒙驁本人は既に故人ですが、蒙武の楚戦線での活躍、蒙恬・蒙毅の前線・中枢での躍進など、蒙家三世代が物語の主軸クラスに食い込んでおり、その”源流”として蒙驁の存在が背景的に効いています。また、秦軍の世代交代・六大将軍復活構想の文脈で、「かつての大将軍枠」の一角として名前が挙がることもあります。






